大晦日の買い物にスーパーへ行った。
クリスマス前とは比べ物にならない人出で、レジの前には長い列。ようやく私が列の先頭になったところで、「はい、お次の方どうぞ」と小さな声が聞こえたような気がしたけれど、見回すとレジが空いているところはないように見えたので、空耳かも、と思ってじっとしていた。
その直後、すぐ後ろの人から、「すみません」と不満げな声がかかる。振り返ると、しかめっ面をした30代前半の主婦が、「こっち」とぶっきらぼうに斜め後ろを指さす。「あ、空いてましたか」と言って、死角になっていたレジへ急いだ。
なぜこんなに殺伐としているのだろう?そんな気持ちが残った。
この余裕のない雰囲気は今年に始まったことではないかもしれない。しかし、私には今年を象徴している出来事に思えた。
商店街が元気だった頃は、大晦日の買い物は笑顔に溢れていたように思い出される。人々は、これほど余裕を失っていなかった。
肉屋の息子が肉屋になり、八百屋の息子が八百屋になる時代は、もう遠い昔に過ぎ去った。その頃に比べて、確かに世の中は便利になったかもしれない。だが、世の中は暗くなった。辺りに溢れていた、ほんわかとした白い光のようなものがいつの間にか消えていった。
資本主義は、職業の選択の自由を広げたが、各家庭にあった基盤のようなものをそっくりどこかへ消し去ってしまったのだ。
私は、ほんわかとした白い光を取り戻すために生きようと思う。そのために必要なもののうち、ほんのひとつでいい。みんなで笑い合うことができるちっぽけなかたちの一例をつくりあげたい。
らしくない、ですか?
みなさん、今年もお世話になりました。来年も毎日書きます。