HPで『空間追究法人』とうたっているように、グリッドフレームは、より優れた感性を持ち、それを空間に生かしていく集団を目指している。
これまでもさまざまな勉強会を行ってきたが、今月からの試みとして、それぞれのスタッフの個人的な作品を社内プレゼンし、質疑応答を行う勉強会を進めている。
個人のつくることに対する姿勢や目的、方法論などを分析し、グリッドフレームでの創作活動にその個性を存分に生かしていく道を全員で探ろうとすることが目標である。
本日は006がずっと描き続けている油絵についてのプレゼンだった。
006は、歩くことから始める。歩いていて、気になった自然のイメージを抽象的に捉え、部屋へ帰って、キャンバスの上に再現しようとする。
その自然は、植物であることが多い。意志があるのか、ないのか、分からないところに惹かれる。
写真は撮らない。そのときの記憶だけをもとに、光・寒さ・湿気・匂いなどを描こうとする。
日付やサインは入れない。タイトルを付けることにも特に興味はない。
予め決めたことと、刻々と変わる今の感覚とのせめぎあいの中で、どちらをとるかを迷いながら、筆を進めていく。筆が止まることもしばしばある。
区切りがつくまで描こうとする。しかし、時間が経ってから新鮮な目で見たとき、また筆を足すことも多い。どこで止めるか、はいつも判断が難しい。
最初の意図を裏切った結果が表れても、その結果が気持ちよいものであれば問題ない。しかし、そのようにして表れた結果は、往々にしてしっくりとはこないものが多い。
006の油絵とは、このようなものである。
キャンバスは自分の鏡であるか、という質問に、イエスと答えた彼だが、それは必ずしも彼の絵が彼のアイデンティティを映すものだ、という認識ではないだろう。
(つづく)