京都で学生だった頃、夏の旅行先で知り合った京都人に教えてもらったバー「白樺」。
描いてもらった地図は何ヶ月も放置されていた。このまま行くことはないかもな、と時折その地図を横目で眺めては思った。
しかし、少し寒い季節になって、身の回りに哀しい出来事が起こり、急に人恋しい気持ちになって、とうとう白樺を訪ねる日がやってきた。
吉田山の中腹、住宅が並ぶ中に、ひっそりとその赤い扉はあった。
一人でひっそりとした佇まいのバーを訪ねるなど、初めてのことだった。
グリッドフレームは、「誰もが入りたくなるような空間」を売り文句にしているが、この赤くて重いドアほど、入るのをためらわせるドアはないだろう、というくらいに、それを開けるには勇気を必要とした。私はきっと5分くらいドアの前で白い息を吐きつつ、開けようか、帰ろうか、ともじもじしていただろう。(周りに誰もいなくてよかった。)
そして、この重いドアを開けてから、私の世界が変わった。「白樺」の常連たちは、人間的・知的な魅力に溢れていて、私の世界を大きく広げてくれた。「白樺」なくして、今の自分はいない。
そう考えると、あの赤い扉は、私の人生のひとつの「境界」だった。たまには、思いっきり、入りにくい空間もつくってみようか。