gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

スタッフ006の油絵 その2

彼は刻々と変わる彼自身を意識していて、その自然をそのままキャンバスに写し取ろうとしている。そして、もう一方で、過去のある時点で意図したことをそのままキャンバスに写し取ろうとしている。油絵という、描くために長い時間を要するメディアを選び取ったのは、明らかに、両者のせめぎ合い(ずれ)が必然として生じるということの中に、作品をつくるリアリティを感じ取っているからである。

その意味で、彼が、判断が難しい、と言っている「どこで止めるか」という問題こそ、彼の制作活動の主題ではないか、と想像される。言い換えれば、どこで止めてもよい、という「安全」に対して、NOを突きつけることの中に、彼のアイデンティティが凝縮されているのではないだろうか。


空間をつくることは、自己表現であってはならない、と思う。それでいて、自分がつくった、という思いが残らなければならない。

小林登という免疫学者がつぎのような内容のことを書いているらしい。

臓器移植には、免疫反応、つまり非自己を排除しようとする反応のためにうまくいかないという問題がある。しかし、脳は免疫反応が起こりにくく移植しやすい。<身体の中でもっとも『自己』らしく思われている部位、身体の中の『自己』の極在をいいたてるとすればたぶん多くの人がそれこそが自己であるというであろうような器官が、実はもっとも『自己』的でない、という、これはパラドックスであろう>(柄谷行人『物語のエイズ』より)

006は、植物のように、「意志があるのか、ないのか、分からない」自分であることを基本的に肯定する。この姿勢に、空間づくりへ彼の感性を生かす可能性を強く感じる。