gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

森敦 「意味の変容」2

http://d.hatena.ne.jp/yogosiurubi/20090826/1251309844

いかなるものも、まずその意味を取り去らねば対応するものとすることができない。対応するものとすることができなければ構造することができず、構造することができなければ、いかなるものもその意味を持つことができない。(p.88)

なにかを生み出すときに、必ず通らなければならないこの循環。


例えば、ある意味Aを実現するために空間をつくるとする。そのような空間を実現するときには、決められた時間の中で設計図を描き、その通りにつくらなければならない。

設計図を描くとき、そして、その通りにつくるとき、人は意味について考える必要がない。だから、分業が可能になる。製作過程では、むしろ、意味との関係を絶ち、目の前の作業性の向上のみに集中することが求められる。

そのようにして、空間が完成すると、そこで初めて意味A'が実現される。


問題は、製作過程に参加する者達は、何をつくっているかさえ知らなくてもよいということである。優れた職人の多くは、意味に関わろうとしない。いや、意味に関わらないからこそ、いい職人なのかもしれない。


私が生涯持ち続けたいのは、意味に関わりたいという意志である。そして、だからこそ、予期せぬ意味が入り込む空白をつくりたいと思う。AとA'が一致せず、そこにズレが生じるとき、その過程を「脱構築」と呼ぶのだろう。

そのズレを社会において積極的に評価されている分野は、現在のところ、ごく少数である。空間は明らかにその希少な分野のひとつだ。

(つづく)