gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

写真

花模様の光

カフェ・ジュリアトライベッカでお昼を食べた帰りに、用賀駅へ向かって、咲き乱れるハナミズキを横目に歩いていると、壁に大きな花模様の光を見つけた。傾いた陽光が、カーブミラーの裏に反射してできた光だった。

国立競技場のやわらかな光

帰り道に国立競技場からふわふわと揺らめく光が見えた。幻想的とも言える風景である。工事中のネットが、内からの光で照らされているためだ。夜間の工事現場には、時折、思わず立ち止まってしまうような光の世界を見つけることがある。

冬枯れ

例えば、こんな風景に心が癒されることがある。

つむじ

ベビーカーを押しながら、陽向のつむじに見入る。調べたところ、人間は、頭頂部と肛門付近を結んだ線を軸として、妊娠初期に皮膚が回転し、両極につむじができるそうだ。陽向が空中でくるくる回転している絵が浮かんでくる。

冬のイチョウ並木

1月のイチョウ並木では、こんな影の上を歩く。

逆光の群青

1989年、ボルネオ島サバ州、キナバル山。朝、頂上付近で下山しながら撮った逆光の写真。もちろん、見ている風景はこの写真よりも明るい。だが、この美しい群青のスペクトルが自然の中に隠れている。思わずため息をついてしまうような美しさに溢れた星に…

なにげない風景の中に 2

1995年。バッファロー近郊の国立公園。昔の時代を描いた映画を観ていると、ああ、今と同じ風景だなあ、と思うときがある。例えば、この写真のように、木を見上げて、背景に空が広がるシーンだ。100年前の人も、1000年前の人も、10000年前の人も、きっとこれ…

ガラスに映った風景

1995年。バルセロナ。車の窓を撮ったはずだが、どのような状況でこの写真が撮れたか、正確には思い出せない。今年の夏のように、暑い夏だった。なぜだろう。この写真を見ると、その暑さを思い出す。

なにげない景色の中に

1994年。デンマークの西北の海岸。「汚しうる美」を追究しはじめてから、それまで見過ごしていたいろいろなものが美しいものとして、目に入るようになった。かといって、主張してくるわけではない。無言でたたずんでいる。そのような存在。

錆びた建物

1992年にスペインのセビリア万博があった。その3年後に万博跡地を訪れたときの写真である。スチールの建物に全く塗装を施していなかったのか、建物全体が錆びていた。錆びだれが周囲のアスファルトを汚していた。当時はもう廃墟になっていたのか、人の…

昼のオーロラ?

アラスカ。スティーブンスビレッジ。1989年3月。この写真、昼のオーロラというわけではない。まだ少しだけ明るさが残る時間に見え始めたオーロラである。オーロラをカメラで捕えるためには、露光時間が8秒ほど必要だったから、まるで周囲が明るいかのように…

らせん階段

らせん階段は、誰でもこのようなアングルで見てみたくなるものである。「らせん」が人生に例えられるものなら、当然のことだろう。上は見上げた写真、下は見下した写真である。このように上や下を覗きこむことが、遠い未来や過去を眺めるような視点を想起さ…

関西空港へ向かう電車から

逆光の写真が好きだ。見慣れたものや、何の変哲もないものが、全く違う様相を呈するからである。いい意味で、自分の安定感を壊してくれる。そんな心持ちの私を乗せて、飛行機はアメリカへ向かった。