ぼくが30数年前にタイの東北部の村を訪ねたとき、そこには文明の利器は何もなかったが、貧困に喘いでいるわけでもなかった。
若者にはバンコクなどの都会へ出ている者もいるが、基本的には農業をして自給自足で暮らしている村だった。(村にお金を使える場所がない。)
収穫が不安定であれば飢饉も起こるだろうが、安定していれば幸せに人生を全うできるだろう。
その場所が水が豊富で、肥沃で温暖な土地であれば、そこで生きていけるのだ。
つまり自然に恵まれているかどうかで、自給自足で生きていけるかどうかが決まる。
そうでなければ、世界経済に組み込まれて、外の食べ物をモノと交換しながら生きていくことになる。
日本は自然にとても恵まれているにもかかわらず、食料の自給率が低い。
子供たちが飢えている国から見れば、もったいない、と嘆かれるだろう。
ぼくらがそれを放置しているのは、単に切迫感がないからだ。