gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

未来

未来はどうなっていくのか?

 

このところ、よくそのことを考えるようになった。

 

建築を勉強し始めたのが、26歳の頃だった。その頃に得た考えは、「だれもが創造的になれる社会になれば、きっと幸せな世の中になる」というものだった。

 

そのような世の中に変っていくために、自分はどのように貢献することができるだろうか、と考えてグリッドフレームを立ち上げたのが、ぼくが33歳の頃だ。

 

それから少しずつ考えを進めてきたつもりだけれど、その根底に万人にとって一番大事なことは創造的であることだとずっと信じていた。

 

その考えが、少しずつ変わってきたのは、この2、3年のことだ。自分をとりかえのきかない存在と感じるためには、創造的であることが大事だが、とりかえのきく存在であることもまた社会的存在には重要なことで、時代が進むとは、後者を進めていくことだと知ったこの20年間だったのだ。

 

「とりかえのきく世界」と「とりかえのきかない世界」という重なることのない二つの世界を行ったり来たりしている人間たち。これが、すべての人間たちの姿だ。いや、すべての存在に当てはまる姿だ、といってよい。

 

未来は、二つの世界をそれぞれの存在にどのように分配するのか?ユダヤの法則のように、78:22に分けるのか?その場合、どちらが78なのか?  

 

 

 

 

 

闇の力と感動

昭和の時代には、今よりももっと感動があったような錯覚かもしれないイメージがある。

 

混沌としていたからかもしれない。現在は、明かりに照らされ、整理されたように見える部分が、昭和の時代は、暗がりで蠢いていたからかもしれない。

 

ショービジネスの背景にも、半ば公然と暴力団の力があっただろう。今は、あったとしても、表からは見えなくなっている。

 

今も、ショーそのものには確かな感動があるだろうが、昭和の時代にはあった深さが足りないイメージがある。

 

このイメージもまたつくられたものかもしれない。

 

清濁併せ呑む、といった感覚に、人がリアルを感じるのはなぜか。

 

 

柔道の歴史

戦国時代に、相手を殺すために成された術は、平和の時代になるとスポーツに変わる。つまり、勝ち負けのみならず、自己鍛錬、精神修養のためのものに変わる。

 

殺法から活法へ。どんな格闘技も、そうだろう。

 

今では、柔道は、見ている者が楽しめることを主眼としてルールが改正され続けている。それにより、ファンが増え、スポンサーがつき、お金が動くからだ。

 

今やフランスの柔道人口は、日本の3倍らしい。グローバル資本主義の下、世界中に拡大したことは喜ぶべきだろう。

 

日本で柔道をやってきた側からみると、その精神性の強さも同時に世界へ拡大しているのかが気になる。

 

・・・とは言ってみたものの、それを説明しろと言われても、自分にはできそうにない。

 

スポーツとは、カタチから入るものだ。とりあえず、それでよい。

 

 

子供

牛島辰熊が小学2年生の頃、町で大雨が降って、近所の川の水かさが増えた。小学校3年生の男の子が誤って川に落ち、どんどん流される。大人たちが、どうすることもできずに岸を追いかける中、牛島が川へ飛び込んだ。「あぶない!」という大人たちの叫び声がする中、浮きつ沈みつしながら、牛島は3年生をなんとか岸へ引き上げたそうだ。

 

ほとんど信じがたいような出来事である。彼は、熊本県知事から表彰されたそうだから、本当の話だ。

 

子供と大人の境は、実はない。そして、それは、必要ない。

 

 

 

 

スタッフ募集に際して

https://shigoto100.com/2019/08/grid-frame-4.html

 

グリッドフレームでは、設計スタッフ、制作スタッフ、経理スタッフを募集しています。

 

今、子育てをしながら、子供が将来に大きな夢を持てるように、ぼくらの姿は映っているだろうか、と自問しながら、さまざまな空間をつくらせていただいています。

 

大人が心から愉しんでいる限り、それを見て育つ子供たちがつくる未来は必ず輝けるものになると信じています。

 

一緒に愉しく仕事をしてくださる方、ぜひご応募ください。

 

 

受け身

広い柔道場を家族3人で借りて、受け身の稽古をじっくりとやる。

 

ちょっと暑いが、妻も陽向もずいぶんうまくなった。

 

受け身は猫が手本、と子供のころに通っていた塚本道場の先生が言っていた。

 

猫のように、しなやかに、緩急をつけて、自由に体を動かす。

 

そうイメージするのがよい。

 

 

 

説明

説明する、ということの窮屈さから逃れたい。

 

いつもマージンがある関係性をつくりたい。

 

並列で、なんとなく関連のあるものを並べていく。

 

それぞれは、「そして」でつながる。

 

「だから」は、自由につくればよい。

 

それをつくっているときが、今の自分。

 

 

弱者

戦時中、中国で数々の残忍な命令を強制した上官が、戦後商売で大儲けをして、最初は陰で批判していた周囲も彼を持ち上げて、戦友会では一番上座に座り、誰も昔の話をしようとはしない、という話をfacebookで読んだ。

 

もちろん日本だけではない。世界中が金儲けを第一優先にして政策を進めている。そして、周りの弱者たちは、生きていくために金儲けのできる人間を持ち上げる。誰もその人間の心を見ようとしない。

 

このままでは、世界は滅びるだろう。そう、たくさんの大人たちが思っている中で、子供たちに夢を与え続けることができるだろうか?

 

この、どうしようもない世界をつくっているのは、実は、この意気地のない弱者たちだ。そんな人間たちが今、すべきことは何か?

 

「子供たちに心から夢を語れるような仕事をすること。」

 

それぞれがそのように生きることで、弱者は強者に変わる。自分がそうなれたら、周囲もそのように生きれるように環境をつくっていく。

 

ぼくは残りの人生をそのように生きたい。

 

 

雲竜柳

好きなスペイン人の建築家にミラレスという人がいて、その人の自宅の本棚にニョロニョロしたかたちをしたドライの木が白く塗装されて、横たえてある写真をとても印象深く覚えている。

 

もう20数年も頭の中に眠っていたが、花屋さんのクライアントに「雲竜柳」という名前だと教えていただき、ようやく自分で手に入れられるようになった。

 

全体のかたちはほぼ想定できて、ディテールがランダムな自然のかたちは、空間のアクセントとして使いやすい。さりげなく浮いている感じがいちばんよい。

 

 

 

 

映画 父の秘密

2012年。メキシコ。

 

父母娘の3人家族。ある日、母と娘が乗る車の事故で、母を亡くす。

 

父と娘が過ごす日々は、一見、いたわりあう静かな生活に映る。だが、父は妻の死に対し、怒りの矛先がなく、仕事場でイライラを募らせる。そして、娘は学校で酷いいじめに合う。

 

娘が修学旅行でいじめの結果として、失踪してしまう。

 

父はその原因となったクラスメイトの男子に矛先を向け、なんのためらいもなく、彼を海に放り投げ、殺害する。

 

愛する人を失ったとき、怒りの矛先がない、ということが、どれだけ当事者の精神を蝕むのか、が描かれている。

 

娘の失踪後の父のストレートな行動が、恐ろしく、またどこまでも悲しい。

 

 

柔道の歴史

 

 陽向の夏休みの自由研究に「柔道の歴史」を調べることにしたから、一緒にパソコンで調べていたら、ぼくの通った久留米の塚本道場の塚本熊彦氏が慕っておられた、牛島辰熊氏の話がたくさん出てきた。

 

牛島辰熊氏は、道場にも何度かいらしたので、生前の姿を拝見することができたことを改めてうれしく思う。

 

wikipediaなどによると、人間とは思えないような激しい稽古を繰り返されたようで、明治・大正・昭和を生きた伝説の人物たちは、ちょっと人間離れしているように映る。

 

とはいえ、今も抜きん出ている格闘家たちは存在するのだから、実はその生活に大差はないのかもしれない。

 

 

講道館柔道は、いろんな流派の中の一つだが、世界的になって、どんどん試合のルールも変遷してきた。見て面白いスポーツ、というところに重きが置かれているのが変遷の本質だと思うけれど、違う流派から始められた牛島氏なら、この変遷をどう思うだろうか。