gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

とりかえのきかない存在へ

AIの発達により、左脳的な仕事を機械に任せて世界人口の衣食住を支えることができる時代が来たら、人間は金を稼ぐ手段としての労働から解放されるかもしれない。

 

もう「とりかえのきく存在」として脳を使う必要はない。それぞれの人は「とりかえのきかない存在」として生きようと脳を使い始めるだろう。

 

現在、生活の中で目を向けられることのない<混沌=外部>。混沌が過剰に目前に広がると、人は恐怖を感じて直視することすらできない。

 

我々は、この向き合い方に変化が生じるのではないかと考えている。

 

AIが外部に対する防御の役割を担えたら、外部と直接的に一対一で向き合えるようになるだろう。

 

そのとき、記憶はより鮮明に人の脳に残り、その人独自の感性や知性を進める。

 

人間が外部に出会ったときの対応として、互いの関係性を深める4段階がある。

 

  • 見ない
  • 風景として見る
  • フレーミングして、切り取った写真のように、観察する
  • 直接的に、一対一で観察する

 

これからの時代は、1から4への変化が促されるだろう。今回の作品では、この4段階の空間化を試みたい。

 

さまざまな混沌に対する記憶の密度が高まり、伝承されていく。そんな未来像に、我々は希望を抱いている。

 

 

世界人口は増えていくか

機械が人間の仕事の大部分を担ってくれる時代が訪れようとしている。

 

人間が働かなくても、衣食住が満たされるとしたら、あとは人口が増えていかなければ、その豊かさは継続する可能性は高くなる。

 

先進国では、1970年ごろから出生率が低下し、人口が減少に向かっている。女性の社会進出、婚期の遅れ、未婚率の上昇など、核家族化による子育ての難しさ、などなどが原因と言われている。

 

開発途上国では、逆に人口爆発が起こっている。これは、家族全体で生活を支えていくため、子どもが多いほど家が豊かになる、という構図があるだろう。

 

世界人口は70年後には増加傾向から減少傾向へ転じると予想されている。

 

人類全体が幸せに生きていける人口はどのくらいなのか?今は、多すぎるのか?わからないけれど、戦争のない平和な世界が維持できて、それぞれがとりかえのきかない存在として生きていける世界には、きっと人は多すぎない方がよい、と思う。

 

 

 

 

 

 

写実美術

2001年頃の堺屋太一の講演で、歴史的に、「写実美術が生まれてから、次に科学が登場し、科学が生まれてから技術が登場し、技術が生まれてから社会的に許容される。」と言っている。

 

豊かな時代、人口が増える時代は、このプロセスの後に来る、と。

 

逆に、抽象美術の時代は、宗教が強い時代であり、経済は停滞し、人口も減る。

 

写実的にものを捉える、つまり、ものと向き合うことが豊かさの第一歩になる。

 

こう書くと、抽象美術が劣っているかのようだが、むしろ、物質的に豊かな時代と抽象美術の共存をぼくは見たい気持ちがある。

 

 

 

 

古代と森林

古代人が利用できたエネルギーは、ほとんど森林だけだ。

 

どの文明も、森林によって支えられていた。

 

森林を切り拓き、その後に羊を放牧すると、木の根っこまで食べてしまうため、あっという間に砂漠化してしまう。

 

日本の縄文時代だけではなく、世界で森林が古代の生活を支えていたのだ。

 

森林の生活をルーツとして、ぼくらは世界を築いてきた。

 

 

長い休み明け

まるで春休みの後の春休みのような、長い休みだった。

 

今後、休みは増えていく一方なのか?

 

ぼくらにはうれしくないが、その感覚を疑わねばならないのかもしれない。

 

陽向は眠そうだ。シャキンとしない。

 

それでよいはずはないが、日本中がそんな感じなのかもしれない。

 

 

化ける可能性

小さかった頃は、アートと呼ばれるものは隅々まで計算が行き届いていて、例えば、点描があったとすれば、小さな点を一個増やしたら、それがどんなに些細な変化であったとしても作家はすぐに気づくものだと思っていた。

 

でも、作家とはそういう人ではない、ということが分かったのは、自分がものづくりに向かい始めてからだ。

 

自分の行為が、他人に何らかの影響を及ぼし、それが自分の思う倫理的に良い方向へ「化ける可能性」があることを、作家は望む。

 

 

千田泰広 闇を軽く、光を重く 

千田泰広の個展を久しぶりに見に行った。

 

まず、扉を開くと、そこは光の世界だった。天から、光の雨が降り注ぐ中庭。

 

光の世界に吸い込まれるように、中庭へ降りる。

 

遠くの雲間から射し込む光のように、しばし無数の光のシャワーに打たれる。

 

室内へ戻り、2階へ。ここからは、暗闇の中の光の作品群だ。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

日本の未来 2

海外で活躍をして帰ってきた方が出店される案件の提案をさせていただくことになった。

 

しかし、海外の躍動感が日本には感じられないようだ。それぞれの世界に奥行きを感じづらいのか?

 

ビジネス要素を満足させながら、本物を見つめながら仕事をしていくことが、残念ながら難しい国になりつつあるようだ。

 

突破口がある、という感覚はある。

 

とりかえのきく世界と、きかない世界を橋で結ぶことではないか。

 

 

 

 

 

日本の未来

令和の時代が始まった。

 

これから日本は、どのように変わっていくのだろう?

 

1998年(平成10年)に興したグリッドフレームのキーワードは、この20年で次のように変遷してきた。

 

「汚しうる美」

「なるの空間」

「創造性の連鎖」

「とりかえのきく世界、きかない世界」

「SOTOCHIKU」

「記憶の伝承」

 

元々、外部性の魅力をどのように空間に取り込むか、を巡って、試行錯誤を重ねてきた20年間だったと言えるが、だんだんと時間性に重心が移りつつあるのは、時代の要請と自分自身が年を重ねたことによるのだろう。

 

東北の震災から絆という言葉がクローズアップされてきたが、主には横のつながりを意味してきたと思われる。今の時代に足りないのは、縦のつながり、すなわち脈々と続いてきた時間のつながりではないのか。

 

ぼくらにできることがある、と実感するこの頃だ。

 

 

平成の終わり

今日で平成が終わる。

 

20代で昭和が終わったときは、不思議な感覚があった。生まれたときの元号は、永遠に終わらないような錯覚があったからだ。

 

昭和天皇のイメージは、物心ついたときから既におじいさんで、ずっと変わらなかったから、やはり天皇も人間であられたのか、という驚きがあったのかもしれない。

 

平成天皇は、生きたまま皇位を譲られるかたちになったので、今回の皇位継承はお祝いムードが大きい。

 

ゴールデンウィークでの継承は、ずいぶん前から準備されていたのだろう。

 

テレビも新聞もない生活をしていると情報が少ないため、場違いなことを書いているかもしれない。

 

死生観という意味では、昭和天皇崩御というニュースは何か重い意味があったけれど、今回はイベントのひとつという軽さがある。

 

死は、どんどん生活から遠ざけられていく。

 

人間の生が軽いイベントのようであるというのも悪くない、という人もいるのだろう。

 

ぼくらは、生命が誕生したころから、先祖の一部として38億年も生きてきて、今ほんの短い期間を個体として生きている。

 

ぼくらは何を伝承していくのか?

 

元号が必要なのかどうかもわからないが、伝承されていくというイメージが喚起されるなら、令和を祝う気持ちも生まれてくる。

 

 

手づかみで食べる

手づかみで食べる、ということに妻は昔から興味を持っていた。

 

食べるという原始的な欲求に、原始的な所作で対応することを許す場があれば、そこに遺伝子レベルで忘れていた感覚が取り戻されるのではないか。

 

妻の誕生日に、原宿のCATCH THE CAJUN SEAFOODへ。カニやロブスターを手づかみで食べるのは、結構な重労働だった。2時間ほどの食事で手が疲れた。また、殻の突起でけがをしないように割るのも気を遣った。

 

楽ではない、ということが経験を濃くしてくれる。

 

陽向も自分で割りながら食べることを愉しんでいた。