今日で平成が終わる。
20代で昭和が終わったときは、不思議な感覚があった。生まれたときの元号は、永遠に終わらないような錯覚があったからだ。
昭和天皇のイメージは、物心ついたときから既におじいさんで、ずっと変わらなかったから、やはり天皇も人間であられたのか、という驚きがあったのかもしれない。
平成天皇は、生きたまま皇位を譲られるかたちになったので、今回の皇位継承はお祝いムードが大きい。
ゴールデンウィークでの継承は、ずいぶん前から準備されていたのだろう。
テレビも新聞もない生活をしていると情報が少ないため、場違いなことを書いているかもしれない。
死生観という意味では、昭和天皇崩御というニュースは何か重い意味があったけれど、今回はイベントのひとつという軽さがある。
死は、どんどん生活から遠ざけられていく。
人間の生が軽いイベントのようであるというのも悪くない、という人もいるのだろう。
ぼくらは、生命が誕生したころから、先祖の一部として38億年も生きてきて、今ほんの短い期間を個体として生きている。
ぼくらは何を伝承していくのか?
元号が必要なのかどうかもわからないが、伝承されていくというイメージが喚起されるなら、令和を祝う気持ちも生まれてくる。