カラスが公園の水飲み場で、蛇口を調整して、水を飲んだり、水浴びしたりしているらしい。
カラスたちも進化している。ぼくらも先へ進もう。
さて、柔道で鍛えられた空間イメージ力は、ぼくの今の仕事に生かされている。相手の動きに合わせて、一瞬で自分の動きを決定する修練は、与えられた環境に対するレスポンスとしての空間デザインそのものに近い。
京大時代から発展途上国を中心に30か国を旅した。その後ゼネコンへ就職し、ニューヨーク州立大学建築学部への企業留学させていただいた。帰国後、1998年に会社が事実上倒産し、ライフワークと位置づけていた空間づくりを継続すべく、今の会社を興し21年目だ。
空間をつくるテーマは、「開いていること」。それは、柔道でいえば、負けるかもしれない相手に対し、勝つイメージを構築し、実際に闘うことだ。
ぼくらは、世界を均一化する「とりかえのきく世界」へ向かう世の中に生きていて、ぼくらの生活はどんどん快適・簡単・便利になっていくが、一方でそれを息苦しく感じてはいないだろうか。
計算通りにはいかない「試行錯誤」の中へ人をいざなう空間を目指している。その先にあるのは「とりかえのきかない世界」だ。
ぼくの柔道の特徴は、「負けない柔道」だった。小学生の頃から、「ネバ納豆」と呼ばれた。ネバネバとまとわりついてくる、ということだろうか。試合できれいに投げられた記憶はほとんどない。きれいな柔道とはとてもいえない。引き分けの確率は高いが、負けは少ないから、無理やり判定をつけない団体戦だと結果として勝率は高い。そんなタイプだった。
どう動けば投げられないかを体が知っていたので、あとはどう相手のバランスを崩すかを突き詰めれば、もっと柔道を愉しむことができただろう、と振り返って今でもシミュレーションすることがある。気がつけば、「負けない柔道」を超える試みを今も続けていることになる。
相手のバランスを崩すために、前後、左右、上下の方向に相手を動かすとき、高校時代にぼくが明確にイメージできていたのは前後だけだった、と思う。ぼくは捨て身の小内刈りで勝った試合が一番多いが、それは前後に揺さぶることで崩すことができる相手に対してのみだ。力が均衡していれば、左右への揺さぶりは困難だ。そうすると、あとは上下方向だ。
一つ下に、道崎くんがいた。彼の柔道の特長はその強靭なバネにあって、上下に相手を動かすことができた。それができるのは、一握りの天才で、美しい投げ技はその人たちのためにある。けれど、その才能がないぼくにも唯一道があることに気づいた。巴投げだ。相手に上下方向の揺さぶりを警戒させることで、風穴を開けられるケースは多いだろう。
こんなふうに、柔道から遠ざかって30年以上経った今も、ぼくはきれいな一本を取ることを夢見ている。
そんなイメージに辿り着くとき、ぼくは閉じられた場所からパッと開かれた場所へ出たように感じる。そのイメージを実行に移せば、もちろん、考えた通りにはいかない。自分の状態、相手の状態、環境、・・・いろいろな外部要因が作用して、勝てるはずの試合に負けるし、負けるはずの試合に勝つ。実行すれば、未来は常に開いている。
(つづく)
ぼくが柔道を始めたのは、小2の頃、学校の帰り道で上級生の悪ガキ2人にいきなり何発も殴られたということがあったからだ。単純に、強くなりたい、と切実に思った。
それから間もなく、佐賀県鳥栖市の警察署で柔道を習い始めた。特に、スポーツが得意ではなかったぼくに、なぜか柔道は合うところがあったのだろう。数か月後には試合に出させてもらい、勝てるようになった。(この道場には、数年後ぼくより3歳下のあの古賀稔彦が入門する。)
当時、隣の久留米市に有名な塚本道場があり、そこへ行くことを薦められ、小4から通い始める。当時、全日本錬成大会を6連覇している道場で、世界・全日本クラスの選手をたくさん輩出していた。明治生まれの塚本熊彦先生は目が不自由で、近寄ってこられると誰もが緊張した。「寝技で鼻も口もふさがれたときには、俺は尻で息したぞ!!」と真顔で仰るのを、みんな真剣な顔で聞いていた。ぼくはそんな道場の緊張感が好きだった。
小6、中2で全日本錬成大会の優勝メンバーを経験できた。地元の大会では、個人戦の優勝も何度も経験させてもらった。常勝の道場だったから、負けると涙を流した。勝つことの喜びと負けることの悔しさをこの道場で教えてもらった。
中学生に上がると学校に柔道部がなく、塚本道場で一緒だった同級生たちの中学校には柔道部があったので、道場へ通っても、同級生たちはおらず、小学生の指導をするしかなくなり、次第に柔道から遠のいていった。かつて頑張った頃の余力で地元の大会では勝ち続けたけれど、自分のレベルは下がっていく一方だった。
そんな中学時代を過ごしたため、高1の夏に熊本高校へ転入したときも柔道部に入ろうという気持ちはなく、音楽や演劇をやりたいと思っていた。けれど、1年上のいとこが、佐田先輩に「柔道が強いのが来るよ」と伝えていたそうで、あたりまえのように柔道部から声をかけていただき、続けることになる。
(つづく)
未来の生活がどのようにあるべきか、を考えるのは愉しい。(つづく)
移民を受け入れるには、移民が生きていけるシステムが用意されていなければならない。
それがない状態で移民を受け入れると、社会が荒廃するのは当然のことだ。
壮大な滝から
大きな音が流れ落ちる
低くて太い音がメロディを奏でる
心の底面にあたっては
鈍く跳ね返り
静かに姿を消す音たち
それらはどこへ行くのか
詩を書くことや歌をつくるように、
今そうしているように、自分に向き合って文章を書くように、
ずっとそんなふうに仕事をする
そうやって、できた空間は、ひとの心に
それぞれの詩歌を生むのではないか
そこから離れないように
つなぎとめる最後の鎖になれば
かれは心底ギターが好きだったんだな、と思う。
大企業を辞めて、ギターづくりに専念するかれの姿は、本来のかれらしい姿だ。
つくっている途中の写真を見るだけで、かれが中学生の頃に弾いていた姿とともに、音楽が流れてくる。
よい空間だ。
孤独は、他人一人一人の価値と向き合うために大切な条件だ。
いつもたくさんの愛に囲まれることは、時として向き合う心の働きを曇らせてしまう。