gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

柔道と空間 1

ぼくが柔道を始めたのは、小2の頃、学校の帰り道で上級生の悪ガキ2人にいきなり何発も殴られたということがあったからだ。単純に、強くなりたい、と切実に思った。

 

それから間もなく、佐賀県鳥栖市の警察署で柔道を習い始めた。特に、スポーツが得意ではなかったぼくに、なぜか柔道は合うところがあったのだろう。数か月後には試合に出させてもらい、勝てるようになった。(この道場には、数年後ぼくより3歳下のあの古賀稔彦が入門する。)

 

当時、隣の久留米市に有名な塚本道場があり、そこへ行くことを薦められ、小4から通い始める。当時、全日本錬成大会を6連覇している道場で、世界・全日本クラスの選手をたくさん輩出していた。明治生まれの塚本熊彦先生は目が不自由で、近寄ってこられると誰もが緊張した。「寝技で鼻も口もふさがれたときには、俺は尻で息したぞ!!」と真顔で仰るのを、みんな真剣な顔で聞いていた。ぼくはそんな道場の緊張感が好きだった。

 

小6、中2で全日本錬成大会の優勝メンバーを経験できた。地元の大会では、個人戦の優勝も何度も経験させてもらった。常勝の道場だったから、負けると涙を流した。勝つことの喜びと負けることの悔しさをこの道場で教えてもらった。

 

中学生に上がると学校に柔道部がなく、塚本道場で一緒だった同級生たちの中学校には柔道部があったので、道場へ通っても、同級生たちはおらず、小学生の指導をするしかなくなり、次第に柔道から遠のいていった。かつて頑張った頃の余力で地元の大会では勝ち続けたけれど、自分のレベルは下がっていく一方だった。

 

そんな中学時代を過ごしたため、高1の夏に熊本高校へ転入したときも柔道部に入ろうという気持ちはなく、音楽や演劇をやりたいと思っていた。けれど、1年上のいとこが、佐田先輩に「柔道が強いのが来るよ」と伝えていたそうで、あたりまえのように柔道部から声をかけていただき、続けることになる。

 

(つづく)