gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

2月のヒキガエル

ぼくらの家族に春の到来を告げるのは、青山小学校の帰り道にある墓地の歩道の隅っこに佇んでいるヒキガエルの存在だ。

 

2月20日くらいになると、ぼくはワクワクしながら学校へ陽向を迎えに行く。

 

もちろん陽向も愉しみにそれを待っている。

 

「いるかな?」「いないね」「いや、いると思う」という会話をしながら、道の隅っこを探すと、いたいた!今年もいた!

 

二人で大声をあげて、陽向はスマホで一匹一匹写真を撮りながら、ぼくは顔を近づけて一匹一匹の違いを確認しながら、ゆっくりと進んでいく。

 

まるで小犬の鳴き声を遠くに聴くようなヒキガエルの鳴き声を聴きながら。

 

メスの上にオスが乗っかっているのもいる。

 

彼らが、時折通る自転車に轢かれないように、道の真ん中にいるものは、隅っこへ追い立てて。

 

2月といえば、これだね。

 

 

数の問題

最近、熱帯魚の水槽をぼんやり眺めながら思うのは、「数の問題」だ。

 

何度か、書いているけれど、昨夏に絶滅寸前だった我が家の水槽は、その後のグッピーとプラティの繰り返される産卵のために、今は60匹以上がひしめき合っている。

 

昨夏は残った数匹の魚たちに名前をつけられるくらい親しく接していたにもかかわらず、今の状態では一匹一匹を判別できるわけもない。

 

一匹一匹のために、ぼくらが尽くせるためには、数の限界がある。

 

このことは、実は、根源的な問題ではないだろうか?

 

ぼくらがつくる空間が、詩でありうるとすれば、不特定多数を対象とする心では対応できない。

 

とりかえのきかない世界は、過多という状態になったときに消え失せる。

 

 

共産党

ぼくが子供の頃、実家では大人たちがいつも自民党を応援していて、共産党の存在について特に考えることはなかった。

 

冷戦が終わったときには、やっぱり西側が勝った、と単に安堵したけれど、その後の世界はもっと複雑で不安定になった。

 

政治に関心を持てなかったのは、日常生活の中であまり国を意識することがなかったからだが、最近は仕事の中で国を意識することが多くなった。

 

そうなってくると、にわかに共産党の存在がリアルに感じられるようになってきた。

 

今後、調べていきたい。

父と母

柳田国男を読んでいたら、農村の結婚のことに触れていた。

 

父と母は、同じ村で数十メートルしか離れていない家同士の出身だ。

 

そんな狭い世界で結婚するのは、当時の典型例に過ぎないが、広い世界に出ても探し出せないくらいに、お似合いの素敵な夫婦だ、と息子ながら思う。

 

一つの奇跡かもしれない。

 

 

床屋

陽向の髪を切るのは、愉しみのひとつになっている。

 

今日は、わずか5分で切ってしまった。測ったことはないが、きっと新記録だ。

 

一人の人間の印象を、こんなにも大きく変えてしまうのだから、美容師になりたい気持ちが分かる気がする。