gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

奥能登の未来像について~焦土/スクラップヤード/祭り

松波酒造のある能登町松波を後にして、火災によって広大な焦土となった輪島朝市へ向かいました。

焦土と呼ばれる場所をこの目で見たことはぼくの生涯でたぶん一度もありません。テレビや映画ではたくさん見てきました。この写真をメールすると、妻から「ガザかと思った」と返事。正直な話、ぼくもそこに佇むと、胸が圧迫されて過呼吸になっているのを感じました。

でも、ひとことで言ってしまえば、混沌。

空間をつくる人間として、この風景を未来へ生かす方法はないか?

ぼくはその焦土を目の前にして、それに似ている混沌の風景について考えていました。

ぼくはかつて米国バッファローで建築の学生だった頃、スクラップヤードに夢中になったことがあります。そこへ建築模型の材料を探しに行っているうちに、そこを「誰が来てもおかしくない」空間だと感じ始めたのです。

捨てられた鉄スクラップは、ベンツだったりファミリーカーだったりした巷での価値を失い、1キロ数円の鉄の塊と見なされ、どれも機械によって叩かれたり、引きずられたりして、唯一無二の姿で野ざらしにされて重なり合っています。ぼくは建築の学生としてスクラップの山からプロジェクトに合うものを探すのです。

それは、建築の学生としては宝の山でした。しかし同時に、商品としてつくられたモノたちが自然に還った森のような場所でもありました。だから、探そうとする心から離れても、自分を開放することができる自由な場所なのです。

「誰が来てもおかしくない」場所と感じた理由はここにあるのだと思います。

では、この焦土をスクラップヤードに変換することができないか?

写真に撮れば、さらにはサラサラとスケッチすれば、焦土もスクラップヤードも変わりありません。つまり、物理的には何もすることはありません。混沌の行き過ぎを調整するために、写真のフレーミング効果を発揮するGRIDFRAMEでレイヤーをつくれば、愉しい場所へ変換できる可能性があると思います。

問題は、最初にぼくが感じた過呼吸になるような胸の圧迫の方です。これを取り払うためには、物語性を変換する必要があります。

SOTOCHIKU素材としては物語性を継承することを目標とし、現地の焦土の再生には物語性を変換することを目標としなければならない、という逆方向のベクトルが見えてきます。

そこで、もう一つ空間のモチーフとして考えたいのが、「祭り」です。これは、人々が望んで集まる「混沌」の空間です。これも物理的には問題なく変換が可能だと思います。元々、奥能登はキリコ祭りで有名だと聞きます。

キリコ祭りは、夏の約3ヶ月間、七尾市輪島市珠洲市志賀町穴水町能登町の3市3町合計約200もの地区で行われる壮大な祭りで、キリコと呼ばれる巨大な御神灯が担ぎ出され、神輿のお供をしながら夜を徹して町を練り歩くそうです。その幕開けを飾るのが「宇出津(うしつ)のあばれ祭り」で、江戸時代、祭礼を行ったことで悪疫病者が救われたため、喜んだ地元の人がキリコを担いで、神社に詣でたのが起源とされているそうです。

このように、祭りはその発祥から地域が困難から立ち直ることに大きく関係しており、今回の能登の復興も、物理的にスクラップ&ビルドのカタチをとらないで経済的な消耗を抑えつつ、物語性を地鎮や鎮魂に変換することで、祭りによって人を集めていくことを一つの軸に定めてはどうでしょうか。

穴水市でボランティアを束ねる活動をされているピカリンさんから「能登の復興を遊び倒すくらいの勢いで日々を楽しみます」というメッセージをいただきました。復興を推し進めるのに必要なのは、この精神性以外にないだろう、と心から賛同します。