令和5年になり、昭和が終わってから34年が経った。
インターネットによって情報社会は昭和の頃には想像できないほど進歩したが、どうやら上流階級の世界は全く気にすることもなく、何をやっても圧力をかけて隠蔽を続けてきた。
令和に入ってようやくその構図が壊れてきた。少なくとも、求めれば、上流階級の悪徳ぶりをあらゆる国民が知ることができるようになった。
だが、圧力を恐れる他のマスコミはまだだんまりを決めている。
ジャニーズ問題を国連が取り上げて、ようやくマスコミが動き始めたように、この国は外圧がなければ何も変われない国なのだろうか?
木原さん関連の事件は、露木警察庁長官に頼めば殺人事件ですらもみ消すことができることを示しているとすれば、日本では警察すら信用できないことになる。
一方で、昭和に憧れる若い世代が増えているそうだ。その気持ちは理解できる。
なぜなら、情報社会が進歩することで、社会全体が世知辛くなり、令和にはスケールの大きな人物がほとんどいなくなってしまった気がする。
昭和の時代には、清濁併せ呑む、という人物の中に志を伴った者がいた、というイメージがある。
令和の時代には、ただ自分の利権を守ることしか考えないせこい人物ばかりというイメージだ。
果たしてそれは本当なのか?
それはわからないが、いずれにせよ、清濁の「濁」はもう通用しない。
ならば、清いままで世知辛くなることなく、嘘のないサスティナブルな世界を実現しなければならないのだろう。
それは難しいことなのか?
いや、その答えは見えてきているんじゃないだろうか?