gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

持続可能性と心

持続可能性という言葉が僕の周りで頻繁に登場するようになったのは1994年あたりだ。

 

そのころぼくはアメリカの大学の修士課程にいて、教授たちの発言に俄かに「sustainability持続可能性」という言葉が混じるようになった。ぼくは、ちょうど「汚しうる美stainable beauty」という造語をテーマとして論文の準備を始めたころだったから、それを言うと、ある教授に「sustainable beauty?」と何度も聞き返されたのを憶えている。しかし、その教授もぼくもただ言葉が近いことを笑っただけで、その時は二つの言葉に関係があるなどとは想像もしなかった。(「汚しうる美」については、下記のリンクを参照。)

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その後、地球温暖化の脅威は急速に世界で深刻化し、今でも持続可能性とは主に環境問題に関する用語だと思っている人は多いだろう。特に、日本ではそうだと思う。ぼくもつい最近までそう思ってきた。

 

だが、現在SDG’sの指標には、LGBT問題や様々な差別に関する問題など心の豊かさの課題を含みこんでいる。

 

そのように捉えたとき、ぼくらの取り組む「創造性の連鎖」やSOTOCHIKUは、まさに持続可能性の課題に重なってくるように見えてきた。

 

なぜなら、それらの結果として得られる空間が、「完成度80%の空間」であり続けることは、空間に関わる人にずっと創造的であることを促す力を持っているからだ。

 

現在、世界中でコンクリート打ち放しや木組み、鉄骨など、建物の構造が露わになった状態を仕上げとして使用している例が増えているのも、そこにいる人の創造力を潜在的に喚起する力を感じるからではないか。

 

これらを好む人々は、すでに「完成度100%の空間」の呪縛から解放されている。

 

それらは元々の建物が持っているものを新しい空間に生かした結果だが、1970年代から古くならない新建材によって建てられたものが多いこの国では、建物が持っているものの魅力に乏しいことが多い。

 

そんな環境でも、外からSOTOCHIKU素材を持ち込むことによって、創造性を潜在的に喚起する力を、どんな空間にも実現することができる。

 

「完成度80%の空間」を理想的な美しさと感じられるようにつくる力こそ、ぼくらがこの四半世紀の間に追求してきたものだ。

 

「stainable beauty汚しうる美」を「sustainable beauty持続可能な美」と聞き返してくれた教授には、 今なら「sustainable stainable beauty持続可能な汚しうる美」と言い直そうと思う。