この山の風景と別の山の風景が同じに見えたとしたら、それは現実の世界を見ていないということだ。
恥ずかしいことに、ぼくにはその区別がつかないことが多いだろう。
例えば、富士の樹海から出られなくなる人はその区別がつかない人だと思うが、今のところ、ぼくも出られなくなる可能性が高い。
持っているイメージを、目の前の視界に重ねてしまうほど、退屈で無意味な時間はない。
違いは何か?発見することができれば、書くことも、話すことも、つくることもできる。
それをもとに人に伝えることもできるから、金を稼ぐこともできる。
つまり、生きることができる。
自然を見る目がその源だ。