意味の変容については、例えば「ab=r²(a<r,b≧r)が原点と境界線上で成立しない。この矛盾が神秘的な何かに対応する」ということがぼくにはスッキリくる
神秘的なものに触れることで人間は人間でいられるのではないか?
神秘的なものを子供の成長を見つめる中で見出すこともあるだろうし、日々の生活でも神秘的なものを見出す機会は人によってはとても多い
新自由主義の世界はあらゆる神秘的なものを無視する世界のようでいて、この国は実はカルト信仰に乗っ取られていたんだ、ということが安倍事件で明らかになろうとしているのではないか
集団的に感受される神秘的なものは、拒絶すべきものでしかない
神秘的なもの(=言葉で表せないもの)は個人の日常に溢れている、と感じられる生活が理想ではないか?