モノクロームの夢しか見ない人もいると聞く
生きるために色彩は必要だろうか?
世界がモノクロームになったら、人はどのように変わるだろう?
建築家と呼ばれる人たちは、黒い服を着ている人が多い
なぜだろう?
そういえば、ぼくも黒い服を着ることが多い
生み出す空間もモノクロームの場合が多い
色彩と呼べるのは差し色程度に過ぎない
きっと煩を恐れるからだ
空間は、色がなくとも十分に材料にあふれている
でも、色彩がなくなったら、ぼくはたまらなく寂しい気持ちになるだろう
あっても無視して生活しているとしても、ぼくは寂しくておかしくなるかもしれない
無視できるのは、失うことがない、と思っているからだ
色彩=生、モノクローム=死
結局、色彩を感じるのは生きている証
やはり、そうなのか?
ぼくらは、死に満ちた生活を送っていて、生はほんの少しでよい
そう思って生きているのかもしれない