gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

空間をなめんな

このタイトル、ぼく自身に向けて書いたものだ。

 

ぼくは人のために空間のデザインはするけれど、自分の家については特にこだわりを持って生きてこなかった。一日中、オフィスで仕事をしていて、家は帰って寝るだけの場所に過ぎないという認識からだ。

 

また、昔から旅好きで、いつも身軽でいることを美徳と考えていた。家にこだわるなんて、最も重いものを抱えているようで格好悪いと決めつけてきたところがある。(モノの所有と空間の大切さとは別問題だよね。)

 

だが、コロナ禍になって、家で過ごす時間が長くなってくると、今までと話が違ってきた。質の悪い空間で長時間を過ごすとぼく自身の中味が貧しくなることを実感し始めたのだ。

 

 

とはいえ、では質の良い空間とはどのような空間か?

 

それは、自分が今生きていることを実感させてくれる空間と言っていい。

 

だから、金のかかった空間とは何の関係もない。というより、ほとんどの場合は、逆比例していると言えるかもしれない。

 

なぜなら、人は一般に「快適・簡単・便利」な生活をするために金をかけるからだ。さらに悪いのは、「見栄」のために金をかけることだ。

 

これらの要素はすべて、自分が今生きている実感を失わせる方向性を持つ。

 

「不快・困難・不便」に対応することで人間には知恵がつくし、心身が鍛えられることも多い。例えば、開けづらい扉は、人にそれを静かでスムーズに動かすような器用さを授けてくれる。それらをただ取り除けばむしろ美しい所作を習得する機会を失う。そして、「実質」重視の空間は基本中の基本だ。

 

ぼくは、自分が生きていることを実感するために、自分と対話する力を持つものを空間の中にほしい。それがどんなものだ、とは決められない。

 

それがなくて、まっとうに生きていけると今は思わない。ぼくは、今まで空間をなめていたんだと思う。