親鸞は、自力で本当に願うことに達する、ということを否定した。
他人の力で本当に願うことに達するしかない。それが、他力本願。
大学受験の倫理社会の勉強中に、「他力本願」という言葉に当たった私は、何かそこに救いを感じたのを憶えている。
父に思わず「他力本願」という言葉の意味を尋ねた。実家は浄土真宗のお寺の檀家だと聞いていたからだ。
父の答えは憶えていないが、自分は自分の信じることを精一杯やればよくて、結果は他力によってもたらされる、という意味と解釈した。
だから、勝ち負けは自分の努力の外にある。
それは、「やるだけやったら、あとは天に任せる」ということだ、と。
なんて能天気で、空を漂うような生き方を認めてくれる宗教だろう?と、自分の家が浄土真宗であることをうれしく思ったのを憶えている。
ただ自分の信念に従った行動を人生の中で貫けばよいのだ。
安富歩の講義で「教えを信じられない人間こそが救われる」という他力本願の解釈が示されている。
世界をよくしていくには、それぞれの人が他力本願という言葉を自分の中で腑に落ちるまで解釈することが大切なのかもしれない。