ウェブで検索すると、加藤義観さんの一周忌の投稿を見つけた。
アフリカ・ケニアでお会いした杉山栄佑さんの紹介で、京都府八幡市円福寺のお坊さんだった義観さんを後輩とともに訪ねたのは京都大学の院2回生の頃だった。「泊めるのは禁止されているけれど、こっそり泊ってってください」と泊めていただき、夜遅くまで話を聞かせてくださった。
義観さんは20代後半か、30代前半か、という頃だったと思う。社会へ出る直前のぼくに多大な影響を与えてくださった。
今でも印象に残っているのは、「本を読んで強い印象を受けたら、著者を直接訪ねて、それを信じてよいかを判断する」と仰ったこと。
例えば、著者が京大教授であれば、こっそり講義に紛れ込んで、その人を眺める。直接話さなくとも、その姿を見るだけでいい、と。
自分の考えの背景を確かめる。それなしに他人に語ることはできない、という構え。
人が好きな方だった。
ぼくがニューヨーク州へ留学している頃、バッファローまで訪ねてきてくださった。カナダ国境を越えて、ナイアガラオンザレイクへお連れしたとき、義観さんは通りがかった優れたデザインの家の敷地に躊躇もせず入り込んで、中から人が出てきたときには肝を冷やした。
それが、アーティストのスコット・キャンベルさんで、義観さんはにこやかにして静かな佇まいで、それがキャンベルさんの心を一瞬でとらえたのを懐かしく思い出す。
キャンベル邸には、その後何度か友人を連れて伺うことになった。
その頃、「自分がいつも孤独でいることで、誰が訪ねてきても親身になって応対することができる」と結婚をしない考えを述べられた。
常に僧侶である自分に真剣に向き合う人だった。
義観さんとは違う道だけれど、ぼくもそのような姿勢の人間でありたいと思う。
義観さん、またどこかで。