アスリート最高の舞台はオリンピックだと思う人が多い。
つい最近まで、ぼくもそう思っていた。
しかし、元々近代オリンピックがヒトラー・ドイツから始まったように、オリンピックは政治的広告の舞台でもある。
アスリートは、その栄光を讃えられるが、同時に、ゲームの駒として扱われている。
今回、オリンピック開催に反対している人も、アスリートを責めているわけではないが、コロナがこれだけ拡がった状況を見ると、アスリートが政治利用されない世界をつくらねばならない、と強く思う。
オリンピックは一旦、やめてしまった方がよい。
世界一を決める場は、政治から離れ、できれば、経済からも離れ、寄付で成り立つような場であることがふさわしい。
そう、ぼくらが小学生の頃に命がけで優勝を目指した柔道大会。ああいう大会の延長にスポーツを戻していった方がいい。
今ならYouTubeなどで自由にライブ配信できる環境をつくれば、スポンサーなどいらない。
今回、コロナの影響のない時間と場所がスポーツ選手に与えられなかったことと、日本国民・海外の関係者の安全が守られなかったことは、オリンピックそのものの性質がいかに歪んだものであるかを露呈させている。
社会から現在の利権を一掃することが菅首相の目的であれば、安倍元首相や麻生大臣などなどはさっさと自ら引退すればよい。利権システムを自ら解体していけばよい。
だれも死なないで済むように、段階を経て速やかに現在の利権システムを解体し、次のくだらない利権が生み出される前に、資本主義システムそのものを根本から変える一歩を、次の世代が踏み出すことを願う。
ぼくは誰かに支配されないように気をつけながら、ぼくのできる範囲でやれることをやるのみだ。