gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

仕事納め

2020年が終わろうとしています。

 

思い出せば、今年は明るい見通しとともに迎えた年でした。まだ、コロナは中国の話でしかなかった。

 

3月になって、コロナが急に勢いを増して世界に拡散していきました。それと同時に有力だった4つのプロジェクトが消し飛びました。そして、3月末に学校が休校になり、4月7日から5月25日まで非常事態宣言。

 

田中は、この事態をネガティブには捉えていません。経済が一旦止まることによって、違った価値観が出てくる可能性がある。それをどう捉えて、どのようにビジネスを成立させ社会とつきあっていくか?これを考えるのはとても愉しいことです。

 

人類が歴史的に抱えている問題として、「共同化」という問題があります。自分が正義だと思うことと、他人が正義だと思うことが対立したとき、自分の思うことを正義とするために、周りに味方を増やして共同体をつくろうとします。これが「共同化」です。そして、数で多くを占めた共同体がその社会の正義と認められる。

 

スターリニズムもナチズムも、そして日本の軍国主義も、社会の正義として熱狂的に支持され、そして、どれも悲惨な結果をもたらしました。

 

共同化すると、多数派はそれで安心します。当面、迫害されることがないからです。しかし、正義そのものの内容は問われません。

 

世界を席巻している新自由主義経済は、情報戦によって価値が上下する株式を基に成立しており、残念ながらこの悪しき「共同化」の歴史の延長上にあるに過ぎないと言えるのではないかと思います。

 

だが、一旦、経済にストップがかかったら、どうだろう?

 

今はまだ株は堅調ですが、コロナの勢いを見る限り、来年には株価は下がる、と言っている人もいます。

 

そうなったときに、どんな会社が生き残っていくか?

 

田中は、自分の考えが絶対だとは思っていませんが、SOTOCHIKUによってもたらされる空間価値の向上によって、唯一無二の会社となることが答えだと思っています。

 

唯一無二であり続けるために、構想力と制作力で新しいものに挑戦し続ける。

 

そして、安易に共同化することなく、相手と適度な距離を保ちながら連携し、独立性を守る。

 

SOTOCHIKUは11月に東京都から経営革新計画の承認を受けました。それにより、補助金を受けたり、融資を受けたりがしやすくなりました。また、取材などの依頼を受けるようになりました。これでわかりやすい実績を一つつくれれば多くの人に広げることができると考えています。

 

今後、YouTubeを始めます。映画やテレビのカメラマンをやっていた知り合いと2月中に配信を開始予定です。いろいろとご協力をお願いすることもあると思うので、ご対応よろしくお願いします。

 

また、新年にお話ししますが、来年はSOTOCHIKUをプロジェクトの中に多数入れていきますので、よろしくお願いします。

 

今後は、どのようなプロジェクトが舞い込んでくるのか、まだ読めませんので、引き続き、店舗デザイン.comやシェルフィーにもしばらくはお世話になるつもりです。

 

Synesも含め、SOTOCHIKUとは違うタイプのプロジェクトをどのように進めていくか、は久保さんから話があると思います。さらなるご協力をお願いいたします。

 


さて、先の「共同化」の話に少しだけ戻ります。「共同化」は3人以上の集まりであればどんな単位でも起こります。例えば、我が家であれば3人ですが、誰かと誰かが意見が対立すると、必ずもう一人を取り込もうとします。

 

会社も同じです。多数側に立つと少数側を否定にかかるということがいつでも起こりえます。田中は、大抵の場合少数側w、だからというわけではないつもりですが、多様性こそがこれからの組織に求められると同時に、社会に求められると田中は思っています。

 


26日土曜日に、陽向と朝早くに電車に乗って、川越付近まで行って、50キロの道のりを歩いて帰ってきました。陽向はいろんなことに飽きてしまうところといつまでも継続するところの両極端なところがあって、彼自身が彼の性格について知るきっかけになるかもしれないと思ったのです。

 

歩き始めて、半分地点までは、いつもの通り彼は遅れがちでした。何度も立ち止まって、彼が追い付くのを待たなければなりませんでした。

 

中間地点付近で陽向の脚がそろそろ疲れてきた頃に「自分は学生の頃に100キロ歩いたりしたことがあって、それは自分の限界に近づくことで新しい発見があるからだ」と話しました。

 

すると、後半の25キロになって、彼は遅れないようになりました。そして、「最初の方は歩くのに飽きるかも、と思っていたのに、きつくなったら愉しくなってきた」と言いました。最後は「脚がもう動かなくなってきた」と言っていましたが、元気にゴールしました。

 

「自分の限界が近づいてくると、愉しくなってくる。」今回、これが陽向のストンと腑に落ちたことだと思います。実は、個人の中で「腑に落ちる」ということが、個人が社会の中で戦っていく、そして、「共同化」を免れるための唯一の武器ではないか、と田中は思います。

 

今年は、自分の限界を見た人、逆に限界に遠いところにいてくすぶっていた人、余裕で大いに楽しんでいた人、いろんな人がいると思います。限界を超えてしまっては笑えません。のんきなことを言っていると思われたら、すみません。

 

いずれにせよ、来年はさらによい年にしていきましょう。

 

(仕事納めオンライン飲み会にて)