gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

親父殿へ

親父殿が突然この世からいなくなって今日で10年になります。

 

この10年で、世の中はずいぶん変わったようにも思えますし、あまり変わっていないようにも思えます。

 

震災やら、水害やら、いろんなことがあり、現在はコロナという疫病の第三波が押し寄せてきたところで、世の中は大変ですが、いちばん流行っているここ東京でも皆が慌てているという実感はまだありません。

 

しかし、コロナによって今日も、残念ながら熊本へ行くことができません。こちらでは、月に一度くらい、近くの乃木神社でお参りをしますが、手を合わせているときは親父殿と会話している気持ちになります。今日も墓参りのつもりで参拝したいと思います。

 

私自身は、今も変わらず仕事のことばかり考えています。たぶん、自分で会社をやっている限りは、死ぬまで続けることになると思います。親父殿も、退職後もずっと陶芸を続けましたね。ものづくりは、どこまでやっても愉しいものです。

 

今年は、長野県のお医者さんの家をつくらせてもらいました。ここのところ、現場で施工する機会も減ってきていましたが、久しぶりにここでは壁の仕上げを担当しました。事前に、工場でいろいろと試行錯誤して、どのようにつくるかというイメージは完成して乗り込んだつもりでしたが、現場でも「何かが足りない」という感覚がどこかにありました。

 

工事の終わりも迫ってきたころ、使用する接着スプレーを現地のホームセンターで購入しようとしましたが、他店を回ってかき集めても、どうしても足りません。困ったスタッフが、仕方がないから別の接着スプレーを買ってきました。

 

不安な気持ちでそのスプレーを吹いてみたら、蜘蛛の巣のように接着剤が広がりました。その瞬間は、「ああ、使えない!」とガッカリしたのですが、その3秒後には、「これは凄い!」という気持ちに急転しました。予定調和が崩れた3秒後の、予定不調和の発見の喜び。

 

「何かが足りない」という雲はサッと晴れて、「これしかない!」という確信が訪れました。そのような瞬間は、動いている中でのアクシデントをきっかけとして生まれることが多いですよね。

 

親父殿はこの瞬間を見てくれていましたか?こんなとき、ぼくは必ずぼくを見てくれている誰かの目を感じるんです。その目はやさしくて、一緒に微笑んでくれているのを感じます。

 

まるで学生のように、まだこんな喜びを人と分かち合いながら生きています。いわゆるプロと呼ばれる人とはだいぶ違いますが(笑)。

 

今年は特にいろんなことを考えさせられる1年です。これからこの国には今までとは違うレベルの苦難が待っているかもしれません。しかし、どんなことが起きても、常に目の前で起こることに学ぼうとする姿勢を持ち続けていれば、なんとかなると信じています。

 

今日は、親父殿としばらく会話ができたような気分です。そちらの世界は想像できませんが、いいところであることを祈ります。また、ときどきゆっくりとお話につきあってください。

 

そちらの皆さんによろしく。