私は書くことが好きな人間だが、
数年前に父を失ってから、私が父について書ける言葉をほとんど持っていないことに驚いた。
言葉では父の存在を感じることは難しい。
けれど、何気なくかつての父の部屋に入って、父の周囲にあったものに囲まれたとき、
父の存在がありありと浮かんでくるのを感じた経験がある。
古い壁の風化の跡も、その断片が新しくつくられる内装空間に残されるだけで、
そこで過ごす人は、その時代に生きた人の気配を感じ取ることができるのではないか。
そのくらい、モノが持っている言語化できない情報量は多いと思う。
ぼくたちが推進しようとしている「ソトチク」という空間のつくり方が一般になされるようになれば、
日常の中で過去と未来を繋ぐ役割をしてくれるようになるのではないかと期待している。
もちろん、懐古的ではなく、審美的なところを重要視しながら、新しくつくるものと組み合わせることに集中していくのだが・・・。
今は、すべての空間がいわば「核家族的」につくられているが、
「ソトチク」によって、かつての3世代、4世代で一緒に住んでいた頃の温度を取り戻していくことにつながるかもしれない。