天草の島を巡りながら、島原の乱で、こんな美しい島で数万人が亡くなる殺し合いがあったことを考えていたら、たまたま「島唄」について語る宮沢和史さんのインタビュー記事に行き着いた。
天草の話ではないが、彼は沖縄を訪れ、その美しい自然に感動した後、ひめゆり平和記念資料館などを訪れ、後世に沖縄であったことを伝えていきたいと「島唄」を書いたという。
そこに、「デイゴ(沖縄の代表的な花)の下であなたと出会い、デイゴの下で千代にさよなら」と書いた。なぜ、別れるのか?
「デイゴの下で千代にさよなら」とは、地下壕での集団自決を思いながら書いた、と。
そして、全体が沖縄音階でつくられている曲は、「デイゴの下で千代にさよなら」だけは西洋音階になっている、と。
なぜなら、その原因は沖縄にあるのではなく、外部にあるから、だそうだ。
・・・音楽もやはり、建築のようにつくられる。
つくる、という行為は、思いや祈りをかたちにする行為であることを再認識する。