2002年。フランス。
原題はcarnages(大虐殺、語源は死肉の意)。邦題は、いつも原題と比べると、耳触りのいい方向へ変更される。
ネガティブな言葉を遠ざけようとする日本文化の特質が分かりやすく表れている。
さておき、これは怖い映画だった。もちろん、ホラー的な怖さではない。登場人物たちはみな、いくぶん常軌を逸しているが、それでもありえないレベルではない。
これから起こりうることに、一定の枠があるのか、ないのか?それを判断できないために、安心して画面を見続けることができない。
ホラー映画は、最初からホラー映画としての枠が与えられるため、この種の怖さを持ち得ない。ある意味で、安心して見続けることができる。
生きることと死ぬことが等価に扱われるとき、このような映画に仕上がる。
怖いと感じるのは、ぼくが生きることの方により大きな意味を感じていることを証明している。
これまで、書物を通して学んできたのはまさに、生きることと死ぬことは等価である、ということだ。
それを頭では理解しても、ぼくが生きている限り、生きることの優越性の感覚はぼくの中から失われることはないだろう。
だから、死への恐怖はなくならない。
枠がないことの怖さと、それゆえの自由への可能性。自由とは、未来への活力のことではないか。
つまり、本当に生きようとする人は、怖れとの絶え間ない闘いにさらされているのだ。