gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

強制なのか、制約なのか

設計を行うためには、制約条件を必要とする。好きに設計してくださいと言われても、単に困るだけだ。それがはっきりしないときは、それを見い出す作業から始めることになる。そのくらい、設計者は制約条件を必要とする。

グリッドフレーム内の「創造性の連鎖」は、私001と002の共同作業による企画構想・基本設計に始まる。このときに、つくるものの詳細は決めない。「空気感」と機能をデザインして、003以下のスタッフの創造性に託す。003以下がやってはいけないことは、具体的にはない。よりよい空間を実現すること。課された仕事はそれだけだ。

しかし、往々にして、003以下のスタッフから聞こえてくるのは、001や002がデザインしたものだから、自分たちの作品だとは思えないことがある、という感想だ。彼らはアーティストではなく、職人としてつくらされているだけだ、と。

先述の通り、設計作業とは制約条件があって初めて可能になる。当然、001や002もクライアントの希望や場所の性質などの制約条件と向き合いながら設計作業を進めている。私は003以下も同じ条件の下にあると思う。彼らに望むことは、001や002がつくった制約条件の下で、創造性を発揮することのみである。

人間は誰しも、制約を与えられた中において自由なのだ。制約のない自由はない。

強制なのか、制約なのか?それは本人が決めることだ。自由のための制約と捉えることができた人間にしか、自由は訪れない。

・・・などと書いては見たものの、これまで実際に行われてきたことは、疑いもなく003以下の自由な創造行為である。ここらで意識的にそれを行うようになることは、かれらの人生をより豊かなものにするだろう。

そのような段階を経て、グリッドフレームは確実に階段を上ることができると信じている。そうなって初めて、微力ながら社会に貢献できる会社へ成長することになるだろう。

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