gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

本 世界共和国へ 2

私が柄谷行人を自分の中で特別な位置においたのは、「探究Ⅱ」を読んだときだった。

彼は、ある人を見るときに、「特殊性−一般性」の回路に対して、「単独性−普遍性」という回路があると考えた。前者は、「日本人」「背が高い」「頭がよい」など言葉で説明できる性質によって人を見る見方で、同じ言葉が当てはまる人と「取り換えが可能」な存在と捉えることになる。それに対し、後者は、例えば、親が自分の子供に対して「この子に限って・・・」と表現されるような目で見ること、つまり、「取り換えが不可能」な存在として捉える見方である。その視点は、その子供の性質に左右されない。

これは、人が対象に向けて、どのような視線を向けるか、という問題である。だから、対象は人に限らず、あらゆる存在にあてはまる。

あらゆる文字情報を振り払い、ありのままの自然物として科学的な視線を向けること、それが「単独性」の存在として対象を見ることである。だから、上述の、親が子供に向ける視線も、盲目的な溺愛とは無縁である。子供に対して、血のつながりという不思議を見い出す視線である。

そして、対象を「取り換え不能」の存在として見ることが、すなわち、見ている自分を「取り換え不能」な存在にしてくれる、と考えた。

私は、この認識論に興奮を覚えた。そして、打ち捨てられた対象に美を見い出す「汚しうる美」をもとに建築を実現していくことをライフワークにしようと決心した。

(つづく)

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