gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

本 世界共和国へ 1

書かれたものについて、自分の言葉で書くことは、生半可なことではない。特に、自分よりも圧倒的に考えている人の書いたものに対して、何を語ることができようか。

柄谷行人を尊敬する人は多いだろう。そして、この人よりも自分の方が考えている、もしくは、この人とは違う視点で自分は考えている、と明言できる人はとても少ないのではないか、と思う。

アメリカで建築を学んでいた20代後半でこの人の「隠喩としての建築」に出会ったとき、きっとこの人に会ったら、上から目線の厭な人だろう、と思った。はっきりと嫌悪感を抱いた。それがこの人の著作を読んだ第一印象だ。

切れ味の鋭さが、「この人は冷たい人に違いない」と思わせたのだろう。読むほどに頭を活性化してくれるきらめきの正体は一体なんだろう、と思った。

実は「汚しうる美」について考えたときも、この人の著作に大いに力を借りた。そこはアメリカであり、柄谷行人を知る人は周囲にいなかったから、私レベルの彼の著作に対する理解でも私の論文に興味を持ってくれた方は多かった。彼の言葉で言えば、「同じ商品であっても、価値体系が異なるところにあると、別の価格をもつ」みたいなものである。

それからずっと柄谷行人は自分の中で特別な位置にあった。崇拝している、とはこういうことなのかもしれない。そのことは、自分のこれまでの人生をずいぶん楽にしてくれた、と思う。しかし、そんな読者を彼はこれっぽっちも求めていないことはよく分かっている。

(つづく)

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