世の中でがんばる人たちは何かに突き動かされている。
「突き動かされる」という言葉は、たぶん枯渇を前提としている。何かが足りないから、突き動かされるのだ。
第一段階。何を足りないと感じているか。物理的か、精神的か。顕在的か、潜在的か。いずれにせよ、自分にとって、あるいは社会にとって、何が枯渇しているか、を見つけねばならない。
第二段階。足りないものを埋めるための方法を見つけなければならない。
第三段階。その方法を見つけた人が、傍から見た、がんばる人たちである。突き動かされるままにまっすぐ進むのみである。そのような人たちは、傍から見ていて美しい。
私の描く幸福のイメージは、この3段階を繰り返す人生にある。
いつも枯渇が前提となる。