gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

モンゴル人への憧れ

以前、モンゴルの草原を800キロ走った話を書いた。モンゴル人の世界観みたいなものに触れて、「モンゴル人のように生きたいと思った」と書いた。
http://d.hatena.ne.jp/yogosiurubi/20090416

司馬遼太郎陳舜臣の対談本の中で、モンゴル語の特徴について書いてあったのを思い出す。モンゴル語は、日本語であればごく短時間で話せる内容のことを話すのに何倍も時間がかかってしまうらしい。なぜなら、日本は、中国から漢字を輸入したが、モンゴルは隣国でありながら全く輸入しなかったことによるらしい。(日本はヤマトコトバで話すと長々と時間がかかる内容が、漢字によって熟語で示されることにより画期的に時間短縮された)

モンゴル人は、便利さを追求しない人たちなのであろうか。

日本人は、便利なものに飛びつく人たちだと思う。学生の頃に読んだから、そのときは国民性の違いというくらいにしか思わなかった。しかし、いったん社会へ出てみると、便利なものに飛びつく速さを競わなければ、生き残っていけないような仕組みになっていることが分かってきた。好む、好まざるにかかわらず、日本では、便利さを追求しなければ生きていけないのである。

モンゴルは誇り高い騎馬民族で、中国の農耕民族を見下していた、というようなことも書いてあったような記憶があるが、そんなことは重要ではない。重要なのは、彼らの生活スタイルが、便利さの追求を必要としなかったことである。それでも、彼らは誇り高く生き続けているではないか。

私たちは、このことについて考えてみるべきところにいるのではないだろうか。