gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

10歳

陽向が10歳の誕生日を迎えた。

 

二桁の歳になった。パパやママと一緒で、もう大人だ、と言っている。

 

ずいぶん、心が大人になってきているのを感じる。

 

今日は、このところ恒例の座魚で、つくにれんくんとトモアキくんと、タイを釣って祝う。

 

これからの一年も愉しみだ。

 

 

満員電車

コロナウィルスの感染には、満員電車の環境が最も危険だ、と言われている。

 

今後、このようなウィルスがどんどん出てくるとすれば、満員電車に人が乗ることができなくなる時代が来るかもしれない。

 

都会に集まって住む、というスタイルが消滅する、としたら、ぼくらは人間性を回復できるのだろうか?

 

 

 

医者

「医者がやっていることは、人の弱みに付け込んだやくざと一緒なんだから、せめてちゃんとやれ」

 

ある医者が、医者になるときにお父さんから言われた言葉だそうだ。

 

その方は、どんなに患者が増えても他の人に任せることなく、全てご自分が診られているそうだ。

 

行くなら、そんなクリニックを選びたい。

 

 

フリーハンド

消しゴムで余計な線を消そうとしたら、

消えかかった線が奥へ退いて

規則正しい平凡な線が

急に踊り始めるように感じたことがある


フリーハンドでやってみようとする心は

なにかを表現しようとすることから始まるが

それだけではない


さまざまな偶然に出会って

思った通りにいかない自分が

思い通りにいったときの自分を

時折追い越してしまう


フリーハンドで働いてみよう

 

 

コロナウィルス

中国からやってきたコロナウィルスによって、さまざまなイベントが中止されるようになった。飲食店など、ビジネス全体にも大きな影響が出ている。 

 

19日を境に、中国では感染者は減少傾向に入った。

 

今、感染者が増えている国も、治癒する人が新たな感染者の数を上回るようになるのは時間の問題だろう。

 

どの段階で、イベントがOKになるかは不透明だが、平常化が早いことを祈る。

 

そして、国には十分な補償を希望する。

 

しかし、どうやら国は十分な金額を用意していないようで、不安だ。

 

 

過程で失われたもの

ぼくが1998年にグリッドフレームを立ち上げたときは、システムパーツを売る会社を目指した。東急ハンズにそれを置いてもらったこともある。

 

システムパーツと身の周りで手に入る何でも組み合わせることができて、DIYで家具から家までつくれてしまう、というものを売り出そうとしたのだ。

 

しかし、そのパーツで何をつくれるかを示すためのサンプルをつくっていたら、パーツよりもサンプルが売れていくようになった。

 

では、「自分たちでものをつくるしかない」とものをつくり始めた。パーティションや棚、テーブルなど、さまざまなものをつくり始めた。

 

つくっているうちに、段々とシステムも進化して大規模なものをつくっていけるだろうと考えた。

 

興味を持って入ってきてくれたスタッフがアパレル店に売り込んでくれて、アパレルの装飾的な什器をつくれるようになった。

 

だんだん、「つくってほしい」と言ってもらえるものの規模が拡大していった。

 

店全体をつくってほしい、と言われて、最初はシステムパーツだけで対応していたが、そのうちにパーツのみで対応することの難しさも感じ始めた。

 

ちょうどそのタイミングで、店舗をつくった経験のあるスタッフが入ってきたために、システムパーツからは急速に離れていき、「外部性を内部へ取り込む」というコンセプトをキープしつつ、店舗内装の仕事へ没入していった。

 

その過程で失われたものがある。

 

それはシステムパーツならば、思いついたらすぐにカタチにできた、ということだ。途中に、長い計画期間が必要となった。

 

基本設計の後に、詳細設計図や施工図が必要になった。

 

システムパーツならば、基本イメージ図しか必要なかったのだ。

 

基本設計は、創造的行為だ。だが、それ以降は、そこに創造がないわけではないが、創造性よりも正確性・迅速性に重きが置かれる。

 

「創造的なことしか、したくない。」そのつもりで始めたにもかかわらず、それぞれのスタッフが大半の時間をそれ以外に使わざるを得ないシステムの中にいることになった。

 

今、失われたものを取り戻すためのシステムづくりを急ピッチに進めようとしている。

 

ぼくらがぼくらでいるために。

 

 

 

less is more 追記

Less is more とは、20世紀の3大建築家と呼ばれる中の一人、Mies van der Roheが唱えた言葉だ。

 

この逆説的表現は、その時代まで在った「建築には装飾がなければならない」という常識を覆すには十分な効果を発揮した。

 

柱と梁だけによってつくられる均質な構造体は、その内部にあらゆる機能を許容した。その機能についての多様性が、グローバリズムの推進に大いに役立ったのである。

 

ぼくらの住む地球は、退屈だけれども、みんな中流階級でいられる社会に落ち着くはずだった。ぬるま湯に浸かりながら、「つまらない」と叫んでいた80年代。

 

しかし、結果は逆になった。グローバリズムは世界資本主義を推し進め、その結果として、今日、貧富の差は拡大している。人間を大きな機械を動かすための「とりかえのきく部品」とみなし、各個人の単独性一切を削ぎ落してきたからだ。

 

だが、今、テクノロジーの発達によって、「とりかえのきく部品」としての人間はむしろ不要になってきている。新しいものを生み出す力こそが、今、人間に求められている。

 

そのために必要なものは、各個人が今まで削ぎ落された各個人の単独性ではないか?

 

 

新しいLess is more

「はかなさ」 消えやすく長続きしないこと

 

 

「せつなさ」 胸が締め付けられるような悲しさや、つらさのこと

 

 

 

ぼくらは皆、時の経過にともなって何かを失いながら生きている。でも同時に、失うことや失う兆候・予感に対して、美しさを感じる心を持っている。

 

美を感受する心とは、「はかなさ」や「せつなさ」というぼくらの生まれながらに制約を受けた、右下がりの事象に対する心象風景へ、まるで代償のように与えられたものではないか。

 

 

誕生、成長、上昇の「喜び」は、それ単体ではなく、上記のような逆の位相を持つ事象に目を背けず、対として捉えられたときに、より大きく、深く湧き起こる。

 

 

遠くを見つめるような微笑みをともなって。

 

 

そのように「喜び」を手にしていく人たちが、これからの社会をリードしていく会社であってほしいと願い、空間に想いを込める。

 

 

永遠でありたいと願って、「はかなさ」や「せつなさ」と向き合いつつ、生きる。

 

 

less is more を、ぼくはこのような新しい意味で捉える。

 

一流

プロ野球野村克也さんが逝った。

 

さまざま記事の中で、「一流、二流、三流の扱われ方」として、

 

「人間は無視、称賛、非難という3段階で試される。三流の人間は相手にされず、二流の人間はおだてられるだけ。一流と認められて初めて非難されるんです。」

 

と言われていたそうだ。

 

最近、ある近しい人がデザイナーとしての私を非難することが多い。そのように捉えておこう。

 

粛々と前進するのみ。

 

 

春の訪れ

毎年この時期になると、夕暮れに家族で青山墓地へ出かける。

 

その場所へ近づくと、「ケロ、ケロ・・・」という声が聴こえてくる。

 

「カエル!たくさんいる!」

 

陽向が叫んで、走って近寄る。

 

数十匹のヒキガエルが、寒空の下、ノロノロと動き回っている。

 

注意しないと踏んづけてしまいそうだ。

 

陽向が小学校へ入学して以来、4年連続でこのカエルたちを見る。

 

「なんか、泣きそうになる」

 

陽向が言う。ぼくも同じ気持ちだ。

 

 

映画 海賊と呼ばれた男

2016年。百田尚樹原作。

 

財閥系ではない現在の大手会社にはそれぞれ、出光佐三のような気骨を持ったオリジナリティ溢れる創始者がいたはずだ。

 

マネをしていたら生きていけない。会社が存在価値を持たなければ淘汰されるのは、今も昔も変わりない。

 

マネをせず成果を出しても、既得権益を持つ者たちは潰しにやってくる。それも変わらない。

 

愚痴を言っている暇はないのだ。 

 

 

音楽が聴こえてくる

そこにいるといつの間にか音楽が聴こえてくるような空間に、ぼくはいくつ出会ってきただろう?

 

もちろん、いろんな条件が揃って起こることだろうが、まずは空間に力がなければ、そんなことは起きない。

 

写真からも音楽が聴こえることもあるが、やはりその場にいることで聴こえてくる音楽は、CDとライブくらいに違う。

 

 

例えば、ぼくは遠い過去に、夕暮れ時ルイス・カーンのソーク・インスティテュートへ行ったときに、水がこちらへ流れてくる位置に立った。

 

赤・黄・紫・青・紺に染められた太平洋の空を背景として広がる凹状のシンメトリーな構図。

 

その静寂の中でぼくの中に聴こえてきた音楽が確かにあった。

 

そのような空間は、「自然」を必要とする、と思う。ぼくらにはコントロールできない何かを。

 

SOTOCHIKUによって、そんな空間をつくることができるかもしれない。