いろんなものを整理して
ひとつひとつ全部並べていこう
そして、大事な物から並べなおす
そのためには、
大きなテーブルか、
それでものらなければ
広い床が必要だ
ゆっくりとそんな作業を
一日かけて
いろんなものを整理して
ひとつひとつ全部並べていこう
そして、大事な物から並べなおす
そのためには、
大きなテーブルか、
それでものらなければ
広い床が必要だ
ゆっくりとそんな作業を
一日かけて
まだその姿を誰も見たことはないが
夜になると森からとらの声が聴こえるらしい
それも1頭や2頭ではない
無数のとらの声が聴こえるという
といっても、雄叫びばかりが聴こえるわけではない
もちろん とらもいろんな会話をするのだ
声を静めて話すものもいるし、
息遣いだけが聴こえるものもいる
とらは
古来、日本にはいないにもかかわらず
食物連鎖のトップに君臨する野獣としての強さと
その均整のとれた体躯に複雑な模様がなす艶っぽい美しさが共存する、と伝え聞き、
ぼくらの祖先たちは、見たことがないゆえに想像を大きく膨らませて
遠い昔からその存在に神に似た畏敬の念を抱いてきた
夕暮れ時になると、とらをひとめ見たいという人が森に集まってくる
まだその姿を誰も見たことはないが
夜になると森から無数のとらの声が聴こえる
この世に生み出されたすべてのものを
否定しない
共存することに、悲しみや苦しみがあるなら、
きっとそこに詩を喚起してくれる
リアルであることを
いつも時代は求めている
それなのに
リアルでないものに囲まれてしまうのは
きっとそれ以上に
リアルなものに目を背けたい
という願望が強いからだろう
ぼくだって
弱っているときはそう願う
けれど
リアルなものから遠ざかるくらいなら
生きていても仕方がない
ごはんと同じくらいに
リアルなものを必要としている自分がいる
詩としての空間は生きる場所にある
生きる場所とは飾られた表面的な場所にはない
表も裏もない
そう、「働く」場所にあるのかもしれない
だから、さまざまな店舗も
働く人のための場所としてつくってきた
お客は、「働く場所にお邪魔する」ようにその店を訪れるくらいが理想だ
そこにある働く人が紡ぐ詩を感じてほしい
陽向がぼくに寄ってきて、顔の辺りの匂いを嗅いで「くんくん、いい匂い」と言う。
そして、「デザインの匂いがする」と言う。
なんだ、デザインの匂いって。
シェアハウスの生活は、ぼくが学生時代にバルセロナのホステルに泊まり込んで大学院の夏期講習を受けた2か月の生活に近いものがあるだろう。
あのときの生活が日常になるのを想像するのは少し困難がある。真剣に設計に取り組んでいたことには変わりないが、心配事も少なかった。
ワイワイガヤガヤの生活で、仕事に真剣に取り組むのは、ぼくには難しいかもしれない。
だから、プライバシーが必要なだけ保たれることが保証されれば、お金のかからない、そして、寂しくないシェアハウスの生活はありだろう。
空間的には、安いに越したことはない、という部分が、今後どれくらい変わっていくか、に尽きる。
寂しくない、なおかつ、協力し合って暮らせるシェアハウスの利点が、シェアハウスを選ぶ第一の理由になったら、詩的な空間が次々に実現していくに違いない。
カスタマーのための場所として
店舗空間をつくってきたけれど、
そこにはオブラートに包まれた本質があって、
実は、その本質をさらけ出すことこそ大事なのではないか、
と思い始めている。
働く側に立った空間としてつくれば
自ずと本質が外に顕れてくる。
工場、倉庫、作業場・・・
そのような場所にこそ
自然は自然の跡を刻みこんで
詩を喚起してくれる
それらに命を吹き込んで
人が詩を感じて働く空間に変えていきたい
生きる上で大事なことは、ぼくらがどうなりたいか、を描いて、そこへ向かって着実に進んでいくことだ。
空間については、ぼくは詩の中を生きたい。言葉のないところに、言葉が生まれる。言葉でなくてもいいだろう。そこに、音楽が生まれたり、体が自然に動いたり、新しいイメージが生まれたり・・・、明日へつながっていく。
食べなければ生きていけないのと同等に、ぼくが必要としているものだ。
あらゆる空間に詩を吹き込みたい。
とりかえのきく世界から
とりかえのきかない世界へ
佇む空間から、歌が聴こえてくるとき
ぼくらはすでに国境を越えている