この表面を何の説明もなく見せられて、嫌悪感を抱く人はどのくらいいるだろうか?
タクマクニヒロさんの写真集「ペンキのキセキ」もファインダーで覗き込んだ世界は、現実の物語を捨象する力を持つことを示すものだ。
ダウンタウンの若かりし頃の漫才で、レポーターが豚肉の生産農家を訪ねる設定のものがあった。レポーターが調理された豚肉を食べようとすると、生産農家がそれはかわいがっていた豚で花子という名前の肉だと説明し、レポーターが口に入れようとする度に、生産農家が「はなこー!」と絶叫するものがあった。これも食べるという行為がある物語を捨象することなく成り立たないことを示しているが、みんなはそれこそを笑うのだ。
世間は、笑ってよいことと笑ってはいけないことを区別する。ビートたけしやダウンタウンをはじめ、多くのコメディアンたちも、それに対する挑戦として笑いをつくってきたんだろう。
それは社会を良い方向へ導いただろうか?
SNSはむしろ、その区別を強化してきただろう。ダメな方に区別された者には、容赦なく攻撃を加えていいことになっている。場合によっては、人が自殺するまで攻撃は続く。
ともあれ、物語を捨象する力を、人が幸せになる方向へ使いこなすこと。それがぼくの使命じゃないか、と思っている。
冒頭の写真は、焼け野原になった輪島朝市の鉄板をクローズアップしたものである。