ぼくの誕生日に、こう書いた。
「隠蔽されたものたちをあぶり出す感性。
一点の汚れがついたティッシュペーパー、ほんの少し欠けた陶椀、良いところだけを見せようとする観光地、知識のみで分かったつもりになるアート、3年前に起こした不祥事でスケープゴートにされる俳優、辺野古基地の座込みの背景よりも何時間座っているかを問題にして人気者になるひろゆき、お金を刷り続けて国民へではなくお仲間へ配る安倍晋三、・・・どれも本質が隠蔽されている。
向き合うことによって、本質が見えてくる。・・・とすれば、向き合える場を増やしていく必要があるだろう。
そんな空間をつくる。」
そして、本質が見えてくるのは、「取り残された」ときだ。
取り残されることは、決してネガティブではない。寂しいかもしれないが、一人で新たな視点を持って向き合えるときだ。
取り残された空間をつくる。誰もが、ひとり、立ち尽くすことから始められるように。