ぼくは、それを見て、ホッとする
ごくありふれた仮設のコンクリートやベニヤの塀
そして、ごくありふれた時間の跡
でも、事前にこんな姿になるとは予想できない
よく見ればよく見るほどたくさんの色に溢れているのが分かる
だからといって、このありふれたモノがその美しさゆえに価値あるモノに変わる、と言っているわけではない
むしろ、その反対で、ありふれたモノに美しさが見いだされたとしても、ありふれたモノはありふれたモノのままなのだ
その美しさはいわゆる「価値」とは別の世界への抜け穴なのだ
自分をしがらみから解放してくれるような美しさなのだ
だから、ぼくは、それを見て、ホッとする
SOTOCHIKUは寄付されるモノであって、売られるモノではないのは、そのためだ