ぼくが小学1年生の頃だったか、母親に「もし戦争が起こったら、兵隊として日本のために戦う?」と聞かれたことがある。
ぼくは「うん、戦う」と即答した。母親は嬉しそうだった、という思い出がある。
けれど、それは日本の敗戦からまだ20数年しか経過していない頃だ。77年経った今なら、母親の反応も違うだろう。
今のぼくなら「絶対に戦わない」と即答するだろう。
日本が戦争へのめり込んでいった経緯も知っている。あれは明確に「しなくてもよい戦争」だった。
避けられない戦争はあるのか?例えば、先制攻撃を受けた場合、今回のウクライナの立場であればどうか?
非暴力主義で行くことはできるのか?
それはわからない。だが、ぼくは今ウクライナの住民だったら、逃げられるなら逃げる。逃げられないのなら、死なない、死なせない方向で考える。
明確なことは、戦うという選択をしない、させないということだ。
未来をつくる。
理由は明快だ。
生まれてきた人間は、その責任を背負っている。他人と戦うことは、必ずそれに反する。