経営者は無限責任を負っている。
従業員は有限責任を負っている。
つまり、経営者はいいモノをつくろうと思えば、いいモノができるまでやめてはならない。
しかし、従業員はいいモノをつくれなかったとしても、決められた時間が来れば帰っていい。
これが新自由主義の根幹をなしていて、つくられたものたちが心を失っていく理由である。
かつては、有限責任ではなかった。従業員は無限責任を搾取と決めつけ、有限責任でよい、という立場を「勝ち取った」。
だが、それが不幸の始まりではなかったか?