もうたぶん多くの人が気づいているけれど、システム化する方向のみでは、広い意味での地球環境全体はよくならない。
あらゆる事物が無限に複雑な相関関係を持って成立しているのが地球環境であり、それをピックアップされた有限数の事象をもとに改良・改善しようとしても、その行いの規模が大きければ大きいほど、新たな、そして、さらに大きな問題を引き起こしてしまう。
地球環境のシステムに較べれば、国家や企業などという遥かに薄っぺらいシステムの上に成り立つ共同体が、そのシステムを盾にとって、「それはいいことだと思うけれども、できない」ということがまかり通る。そんなシステムをつくったのは、誰だ?
組織人として、という立場の人と話をすると窮屈だ。システムの中にいる人は、無限の中で成立する思考をシャットアウトするしかない。それで、酒を飲んだりしながら、シャットアウトされた部分を開放しようとするのだろうが、本来、無限の中で成立する思考によって、物事を進めるべきではないのか?
<システム化すること=つくること>をやめられないのが人間の性だ。それは、人間のみに与えられた能力なのだから。もちろん、そこに人間の喜びもある。
物理的な地球環境のみならず、その喜びを未来の世代へと引き継いでいくことを考えよう。
だから今、つくることの中に自然を、物理的にも精神的にも取り入れていく方法を考えることに意味がある。