安冨歩氏が、論語の講義の中で「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」について解説している。
これは、確か中学生のときに、「自分がされたくないことを、人にしてはいけない」という分かりやすい意味で習ったと思う。
安冨歩氏はこれは間違っていて、もっと厳しい意味を表している、という。それは、こういう意味だ。
「自分がしたくないことを、人にしてはいけない」と。
この方が厳しいかどうかは、よく考えてみないとピンとこない自分がいる。
命令されても、したくないことはやってはいけない。
自分が受動的立場ではなく、能動的立場であるとときに発動する自己に対する命令。
例えば、「殺す」ということについて、
「殺されたくなければ、人を殺してはいけない」よりも、
「殺したくなければ、人を殺してはいけない」の方が、直接的であるのがわかる。
前者は、殺される自分を想像することから始まる。後者は、そのような想像を寄せ付ける余裕がない。
前者は、自己犠牲的な人であれば「自分が殺されてもいいから、人を殺すことも許される」ということがありうる。
だが、後者は今まさに、目の前の人たちを「殺せ」という命令が上から下されたときを想像できる。自分が「殺したくない」と思えば、誰からの命令だろうとその人たちを殺してはいけないのだ。殺さないことによって、自分が殺されても。
立場主義を徹底的に批判する安冨氏ならではの論語の解釈である。
「殺されたくなければ、人を殺してはいけない」では、戦争はなくならないのかもしれない。