gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

著作権について

デザインなどのつくることに関する著作権については、社会として権利保護の方向性を間違っていると考えているので、私見を書かせていただきます。

つくることの本質的な喜びは、何かをつくるプロセスの中にあると思っています。

できあがった何かは、できあがった瞬間に自分の手を離れて、自然の中へ投げ出され、時間とともに壊れていく。風化していく。

そして、それが誰かの目に止まり、次につくられるものの参考となって、その背中を押す。今度はその人の喜びに変わる。

それが永遠に繰り返されるのが、つくることの理想で、そのようにして文化は高められてきたのだと思っています。

著作権を保護する、という考え方には、その理想に反するところがあるのは明らかで、今回のオリンピックのロゴ問題のように、一見似ているものをすべて排除する方向へ向かってしまう、という危険性があります。実際、応募する人にも選ぶ人にも自由が失われてしまった、という状況を目の当たりにしたのではないでしょうか。

一見似ている二つのものの微細な違いこそが創造力が結実したものである場合もあります。コピーなのか、コピーじゃないか、は少なくとも単純に外から判断できる類のものではありません。

また、単にコピーをすることは、そもそもそこにつくる喜びがないのだから、すでに罰を受けているようなものです。

一方で、現在仕事として進めているデザインに対する対価を著作権の保護によって主張するのはわかります。業界として、相見積とともに、複数のデザイン事務所が無料でデザインを提出するのを普通のことにしてしまったことがそもそもの問題です。

採用されなかったデザインは、ゴミのように社会から消されてしまいます。

私たちがアメリカにいたのは10年以上前のことになりますが、アメリカでは、インタビューのみを無料で行い、デザインはすべて有料で行われていました。

日本のデザイナーは一般にプライドが低い、と言えるでしょう。同時に、デザイン自体に対するプライドも低いと言われても仕方ありません。この点に関しては、早く日本もアメリカのように移行すべきだと思います。

弊社では、必ずクライアントと1対1でお会いして、双方の方向性が一致したことを確認してからのみ、デザインの提案をさせていただいています。どのような人であるか、をお互いに確認することが、著作権を守る、ということをことさら話題にしなくとも、結果として正当な対価をいただく結果につながっている、と思います。

しかし、正当な対価を受け取った後で、著作権の保護を主張するのは、もう他人の創造の障害でしかありません。それは、既得権益へとつながり、ただでさえ停滞しがちな社会を、もっと停滞させる原因のひとつになってしまうのではないでしょうか。


グリッドフレームのHPへ ← 創造性の連鎖でつくる店舗デザイン:グリッドフレーム

マテリアルスのHPへ ← コラボで実験しながらつくるオリジナル素材による店舗デザイン:マテリアルス実験工場

GFファサード&サインのHPへ← 未来の町並みをつくるファサードデザイン:GFファサード&サイン