「意味の変容」という本は、「内部と外部が分かたれたとき、その境界は外部に属する」という前提を立てている。
ぼくは、何十回もこの本を読み返したにも関わらず、境界が外部に属することの意味を深く考えてこなかった。
境界は外部に属するから、ある対象について大小を言えるのは外部からのみで、内部からは大小は言えない。
小さな会社を経営している身で、その言葉を心強く感じていただけかもしれない。
だが、実は、境界は外部に属する、とは、グリッドフレームというフレーミングの装置にも関係しているし、著作権や特許などのつくることの障害になりうる諸問題にも関係しているのではないか、と気づいた。
いや、もっと広く、それぞれの人が生きる中で縛られているのも、社会を停滞に導いているのも、この境界が外部からの視点において不可避的であるからなのかもしれない。
対抗するには、その構造を知って、自明のこととしてものごとに対処することだ。