gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

反復

森敦『意味の変容』の最終章に出てくる黒人サキソフォニスト、サミューエル・ジョンスンは、なぜサキソフォンの時代を築き上げたミュージシャンとして熱狂されながらも、スラム街の酒場に入りびたる浮浪者になってしまったのか?

「いかに精妙な音色をもってする吹奏も、ただ群集にむなしい問いを問うにすぎないことに絶望したのである。」

円環をぐるぐる廻り続ける人生。その円環を破るのは、積極的な無限の「観念」だけだ、と柄谷行人はいう。

絶望は、どこから来るのか?絶望は、必然としてあるのか?

すぐに結果の出る世界だけが隆盛する社会から抜け出すには、開拓者たちが過去のある一点から、「いかなる川がわたしを遮り、いかなる山がそばだつかもしれぬように」未来に立ち向かう「反復」を、無限の観念の中で繰り返すことだ。

サミューエルがそのように吹奏している間、「この私が近傍の中心に矛盾として実存する」ことができ、「かくてサミューエルによってサキソフォンの領域が開かれた」。

領域が開かれた後、ある者は新しい反復を始め、ある者は反復をそこでやめるだろう。もちろんそれ以前に、領域が開かれる前に、絶望して反復をやめる者が大多数を占めるだろう。

では、反復をやめてしまった後にはどのような人生が待っているのか?

森敦は、それを決してネガティブに語ってはいない。

彼は、それをアルカディヤ(理想郷)として書く。昨日のような今日、今日のような明日を生きる、牧歌的な場所として。スラム街の酒場に入りびたる浮浪者たちもそうだろう。そして、いつのまにか忘れ去られていく。

「すべての潰(つい)え崩れるものがほほ笑んでいるように、ほほ笑んでいる。」


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