グリッドフレームを創めてから、アルバイトを含めてたくさんのスタッフと出会った。
スタッフの幸福について考えるときに、最近ひっかかることがある。
ぼくは基本的には放任してやってきたという自覚がある。
それは、それぞれのスタッフが自分で考えたことを空間づくりの結果に結びつけることなしに、自分がこの空間をつくった、という幸福感は得られない、と思ったからだ。
だが、何人かのスタッフは、自分で考えることよりも、むしろ上からの強制を欲しがっていたのではなかっただろうか?
それがぼくの疑問である。
ぼくが人間として最も重要なものと思っている「単独的」であらんとする姿勢は、全員に当てはまることではない、ということか?
もしくは、仕事以外でそのような自分を実現しようと考えているのか?
この20年、人々に入ってくる情報の量が膨大に増えた社会で、多すぎる選択肢を突きつけられて自分の進むべき道を決められない人が増えているのかもしれない。
そのような人が、強制を求めているのか?