空間に精神性を投影することができる、という信念を感じられる時代に、ぼくらは建築を学んだ。
精神性を個人が身につけて、それをつくる空間に投影すること。それが、自分が空間をつくる根本的な意味だと思っていた。
だが、現在つくられている空間の多くは、精神性という言葉との関係を失っているように思える。
精神性などという言葉は、90年代にすでに消し去られた言葉だとは知っているが、それなくして、空間をつくる意味があるとは思えない。
魂の抜けたような空間を、本当にぼくらは望んでいるのだろうか。いや、そんなことはありえない。
ぼくらは、これからもずっと精神性を追求していきたいと思う。