http://www.kojinkaratani.com/jp/bookrv/post-19.html
柄谷行人は上の書評で次のように書いている。
『芸術は市場によってよりも、政府や企業・ブルジョアからの贈与によって成り立っている。』
『芸術家は概して貧しい。それは第一に、芸術家が必要以上の金を求めていないからであり、第二に、その志望者が多すぎるからだ。芸術家への助成を増やすと、もっと志望者が増えるだけである。』
この構造から逃れるためには、ぼくらのように店舗をつくるなどの「○○業」の中でアーティストであろうとすることだ。完全に市場によって成り立つ場に身を置くことができる。もちろん、生活を成り立たせるのは容易ではないし、アーティストとしての時間以外に費やす時間も多いが、それも自分の能力次第と割り切ることができる。
たぶん、「アーティスト」として活動している人の中には、ぼくらのことをアーティストではない、と思う人もいるだろう。だが、自分のつくりたいと思うものをつくる人をアーティストというならば、やはりぼくらはアーティストだ。
クライアントと、その向こうにいる未来のカスタマー、そして、その外観と接する不特定多数の人々のことに想いを巡らしながら、自分がよいと思うものをつくる。
もちろん、そのように生きることができるためには、他にもいろんな世界がある。
美容師もその人が自分のつくりたいものをつくることができていれば真にアーティストだし、料理人もそうであればアーティストだ。
会社勤めの人たちも、自分がよいと思う世界を実現するように動けている人なら、アーティストだ。
「芸術家」というには語感が違うが、「アーティスト」には誰もがなれる。ぼくらのように、自称で十分だ。