アウトボクシングという言葉を知ったのは、つい最近だ。
ボクシング経験者である保険販売会社代表のクライアントのプロフィールに、「特技:アウトボクシング」と書いてあったからだ。
アウトボクシングとは、「フットワークとジャブを駆使し、打っては離れ離れては打つの、ヒット・アンド・アウェイを基本とした、一撃離脱の戦い方を呼ぶ」とwikipediaにある。その反対に、「極力相手の懐にもぐりこむように接近し、アッパーやフックなど近距離で威力が増す攻撃に主眼を置いた、打撃力重視の戦法」をインファイトと呼ぶ。
いろいろ読んでいくと、ボクシングという古代にはほとんど一方に死をもたらした極めて危険な闘いは、1892年に「卑怯者の戦法」と揶揄されつつも、史上初のアウトボクサーとして勝利したジェームス・J・コベットによって初めて「スポーツ」に変えられたのだと思う。
さらに、アウトボクシングは、ボクシングというスポーツを成立させるとともに、選手の足さばきや身をかわす様子を、ただ見ているだけで惚れ惚れと見入ってしまうような世界に高めた。
正直なところ、ぼく自身は何事においても、インファイトの側に憧れてきた。計算をしない、力と力の正面からのぶつかり合いに、潔さを感じるからだ。
だが、アウトボクシングが、ボクシングをスポーツとして成立させ、さらに芸術にまで高めたという歴史を知ることで、根底から考えが変わったかもしれない。
闘いは、一見、卑怯者にも映る戦法を受け入れることで、多様性が生まれ、そこから道が拓け、それを辿り、行き着いたところに、新しい「美」が生まれる。
ぼくは、自分の人生を、この観点から見直してみようと思う。