先日、旅行先のペルーで出会った人と久しぶりにお会いする機会があった。
学生時代に始めたバックパッカーを社会人になっても続けているその人は、「生まれ変わったら、イスラム教徒になりたい」と言われる。
「イスラム教が一番教義や戒律が厳しくて、宗教的役割を果たしているから」という理由だそうだ。
人生に何を求めるかは、人さまざまである。だが、拘束されることを求めて、自由をいらない、と言っているわけではないのは、私もバックパッカーだったからよく分かる。
この社会の、自由を装って拘束する、というまやかしが許せないのだろう。
表向きの拘束の向こうにある自由の方がすがすがしい、と感じられるのだ、と思う。
8月、オリンピックとラマダンの時期が重なったことが話題になった。「神様が彼らに力を与えてくれる」とイスラム教国のだれかが言った。
確かに、素敵だ。